海の酸性化 もう一つのCO2問題

ホタテガイに迫る危機

水揚げされるホタテガイ=北海道根室市、山本智之撮影

 ホタテガイは、アサリやカキと並んで、私たちの食卓に最も身近な二枚貝の一つだ。殻付きで売られるもののほか、冷凍品の貝柱、そして、「ベビーホタテ」と呼ばれる稚貝のボイルなども含めれば、スーパーの店頭で見かけない日はないほどだ。新鮮な貝柱の刺し身には独特の甘みがあり、寿司ダネとしての人気も高い。殻ごと炭火にかけるバター焼きも格別だ。

ホタテガイのバター焼き=札幌市、山本智之撮影

 全国一の水揚げ量を誇る北海道のホタテガイ漁業は、「地まき式」と「垂下式」に大別される。地まき式は、稚貝を海にまいて育て、2~4年後に大きくなったものを桁網(けたあみ)という爪のある網を引いて漁獲する方式で、主にオホーツク海側で行われている。垂下式は、稚貝をロープやかごを使って海中につるし、1~2年育てて漁獲する方式で、噴火湾を中心とした北海道南部や日本海側で盛んだ。地まき式でとれたホタテガイの量は漁獲量の統計、垂下式は養殖収穫量の統計に、それぞれ区分されている。
 ホタテガイはイタヤガイ科の二枚貝で、潮間帯下から水深約80メートルの砂地の海底に生息する。主なエサは海中の植物プランクトンや有機物だ。

海底に密集する野生のホタテガイ=北海道羅臼町沖、©朝日新聞社

 海底での動きは意外に敏捷で、天敵のヒトデに襲われると海水を勢いよく噴射し、飛ぶように泳ぎ去る。ホタテガイの「外套膜」には、明暗を感知することができる約80個の目があり、敵から身を守るのに役立っている。この外套膜とは、お酒のつまみなどによく加工される、あのヒラヒラとした「ひも」のことである。

 ホタテガイの貝柱の脇には、三日月型の「生殖巣」がある。この生殖巣が乳白色のものはオス、赤いものはメスだ。繁殖期は春で、海中に放卵・放精する。受精卵は幼生となり、30~40日ほどの浮遊生活を送る。

ホタテガイの軟体部。生殖巣が乳白色の個体(左)はオス、赤い個体(右)はメス=山本智之撮影

 海洋研究開発機構(JAMSTEC)の木元克典・主任研究員と清水啓介・副主任研究員の研究チームは、人工授精によってホタテガイの受精卵をつくり、幼生に育てた。そして、海の酸性化が将来、幼生の成長にどんな影響を与えるのかを、実験によって探った。一連の飼育実験は、北海道産のホタテガイを使用し、青森県むつ市にある海洋研究開発機構の「むつ研究所」で行われた。

海洋酸性化の実験装置と木元さん=青森県むつ市のJAMSTECむつ研究所、山本智之撮影

 木元さんらの研究チームは、卵から孵化して数日後のホタテガイの幼生を実験に使用した。この時期の幼生は、アルファベットの大文字の「D」のような形をしていることから、「D型幼生」と呼ばれる。

ホタテガイのD型幼生=海洋研究開発機構提供

 D型幼生の炭酸カルシウムの殻は、結晶構造が「アラゴナイト」というタイプで、海の酸性化の影響を受けやすいことが知られている。研究チームは、水素イオン濃度指数(pH)が異なる海水を複数用意し、それぞれの条件の海水で7日間にわたって飼育をした。

 pHの条件としては、現在と同じ「8.10」に加えて、「7.94」「7.76」「7.60」に設定した。その結果、pHが低いほど、幼生の殻の成長が強く阻害されることが判明した。

 国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の報告書で示されたシナリオでは、最悪の場合、2080年ごろに海水のpHは7.76程度まで低下する恐れがある。この条件下では、幼生の殻の成長量は、体積ベースで32%減ることがわかった。

海洋酸性化の進行予測。シナリオによって、今世紀末の海水のpHは大きく変わる=IPCCの資料から抜粋

 また、さらに酸性化が進んだpH7.60の条件では、殻の成長量が42%減るほか、殻が薄くなったり、穴があいたりする現象も複数の個体でみられた。木元さんによると、殻に穴があくと、感染症などにより生残率が低下する恐れがある。

ホタテガイの幼生の殻の厚みを表した画像。青色に近づくほど殻が薄いことを示す。通常の個体(左)に比べて、pH7.60の海水で飼育した個体(右)は殻が薄くなっている。矢印の先は、穴があいた部分=海洋研究開発機構提供

 海水の酸性化が進む将来は、ホタテガイの幼生の成長が妨げられ、資源量の減少につながる可能性があることを示す研究結果である。

 自然界において、ホタテガイの幼生に悪影響が現れるのがいつごろになるのかは、私たち人類が今後、CO₂の排出削減をどれだけ進められるかによって左右されることになるだろう。研究チームは今後さらに実験データを積み重ね、酸性化がホタテガイの資源量にどの程度の影響を与えるのか解明を進める方針だ。

 四方を海に囲まれた日本。領海と排他的経済水域(EEZ)を合わせた面積は447万平方キロメートルで、世界6位にランクされる。にもかかわらず、私たちはいま、大量の水産物を外国から輸入している。そんな中で健闘しているのが、ホタテガイだ。農林水産省が今年2月に発表した「農林水産物・食品の輸出実績」によると、2025年のホタテガイの輸出額は約906億円にのぼる。ホタテガイは「日本が世界に誇る輸出水産物」なのだ。それだけに、海の酸性化による影響への懸念も大きいといえる。

 (科学ジャーナリスト 山本智之)

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