海の酸性化 もう一つのCO2問題

姫島の「CO₂シープ」

大分県の姫島=©朝日新聞社

 瀬戸内海の西端に浮かぶ「姫島」が注目されている。大分県国東市の伊美港からフェリーで20分ほど。人口1600人余りの小さな島だが、海洋酸性化が生態系に与える影響を探るうえで、「天然の実験場」として期待されているのだ。

姫島の位置=©朝日新聞社

 姫島は、火山によってできた4つの小島が砂州でつながって形成されている。「火山が生み出した神秘の島」として2013年、周辺海域を含むエリアが日本ジオパークに認定された。島には、海底から二酸化炭素(CO₂)を多く含んだガスが湧き出す地点が複数ある。そうした場所は「CO₂シープ」と呼ばれ、海水にCO₂が溶け込むことにより、海水のpHが低くなっている。

 低pHの海水は、海の生物や生態系にどんな影響をもたらすのか――。それを詳しく調べれば、酸性化が進んだ「未来の海」の様子を知るうえでのヒントになる。東京大学や広島大学などの研究チームが最近、現地で調査を始めた。

 姫島の東部には、「拍子水(ひょうしみず)温泉」がある。源泉約25℃の炭酸水素塩泉で、CO₂の泡を含んだ独特の泉質で知られる。研究チームの藤井賢彦さん(東京大学大気海洋研究所教授)は、別府温泉地球博物館のアドバイザーを務めており、同館ホームページの「温泉マイスター おすすめの温泉」というコラムを書くために2019年、現地を訪れた。その際に、島の人から「海底からも泡が噴き出している場所がある」という話を聞き、興味を持ったという。

 実は、この「姫島の海底から湧き上がる泡」については、京都大学地球熱学研究施設教授の大沢信二さんらが調査を行い、ガスを採取・分析した結果を2017年に論文として発表している。この論文によると、姫島の西側海域の西浦で、噴出孔の付近の海面に湧き上がったガスの組成を調べたところ、CO₂が86.5%を占めていた。また、西浦の噴出孔の直上で採取した海水のpHは7.08で、通常の海水よりもpHが低いことが確認されたという。

 姫島の海底から湧き出るガスはCO₂が主成分であり、かつ、生物にとって有毒な硫化水素の濃度はわずかだ。このため、高濃度のCO₂が海洋生態系に与える影響を調べるのに適したフィールドといえる。また、周辺に大きな河川がなく、淡水や流入物質による影響を受けにくいという点でも、好立地である。

 藤井さんは、広島大学瀬戸内CN国際共同研究センター教授の和田茂樹さんらに声をかけて研究チームを立ち上げ、2022年7月から生物相などの本格的な調査を開始した。

 和田さんは長年、伊豆諸島の式根島でCO₂シープの調査をしてきた。姫島のCO₂シープについて「式根島よりもCO₂の噴出量は少ない。pHの低下がみられる範囲は比較的狭く、ガスの噴出孔から20m程度」と話す。ただ、興味深い現象も見つかった。

 現場の周辺海域はホンダワラ類が茂みを作る「ガラモ場」が広がっており、ジョロモク(Myagropsis myagroides)やアカモク(Sargassum horneri )、トゲモク(Sargassum micracanthum)など3~4種のホンダワラ類がみられる。しかし、CO₂の噴出孔近くは藻類の多様性が低く、ほとんどジョロモクばかりが生えていることが分かった。

姫島のCO₂シープの周辺に茂るホンダワラ類の一種「ジョロモク」=和田茂樹・広島大学教授提供

 さらに驚きなのは、CO₂シープの近くだけ、周囲のエリアに比べて海藻のサイズがとても大きいということだ。通常の海域(コントロール域)のホンダワラ類は高さが50cm~1mなのに対し、CO₂シープの近くは1.5~2mと明らかに背が高い。

姫島の海で潜水調査をする和田茂樹教授=本人提供

 これは、周辺より背の低い海藻ばかりが目立つ式根島のCO₂シープでみられた光景とは、全く逆である。ジョロモクがCO₂に強いのかどうかなど、こうした現象がなぜ起こるのかは不明で、今後の研究課題だ。和田さんは「生態系のタイプによって、酸性化への応答の仕方はかなり変わるようだ」と話す。

 日本近海ではこれまで、硫黄鳥島や式根島でCO₂シープを対象とした海洋酸性化の影響調査が進められており、ここに新たに姫島が加わった形だ。このほか昭和硫黄島や噴火浅根でもCO₂シープが見つかっている。

 世界全体でみると、台湾の亀山島、イタリアのブルカーノ島やイスキア島、パナレア島、パプアニューギニアのミルン湾など10カ所以上のCO₂シープが発見され、調査が進められている。

 和田さんは「今後も様々な海域のCO₂シープを調査することで、緯度や生態系のタイプなどにより、酸性化の影響がどのように異なるのかを明らかにしていきたい」と話す。

 

(科学ジャーナリスト 山本智之)

 

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