海の酸性化 もう一つのCO2問題

真珠養殖の現場でモニタリング開始

美しい光沢を放つアコヤガイの貝殻と真珠=三重県真珠振興協議会提供

 昔から人々を魅了し続けてきた真珠は、「生き物がつくる宝石」だ。日本の真珠に関する記述は、古くは3世紀の『魏志倭人伝』にも見られるという。真珠をつくる貝には様々な種類があるが、日本発の真珠養殖を支えてきた主役は、ウグイスガイ科の海産二枚貝である「アコヤガイ」(Pinctada fucata martensii )である。

 今のように養殖が広まるまでは、偶然の産物である「天然真珠」しか存在しなかった。天然のアコヤガイの中から、見栄えのする大きさの真珠が見つかる確率は極めて低い。たとえば、直径が4.7㍉以上の真珠が天然アコヤガイの体内から発見される割合は、1万個体あたりたった1~2個だという。

 そうした中で、養殖技術によって大量の真珠をつくり出して世界を驚かせたのが、「真珠王」として有名な実業家の御木本幸吉氏(1858-1954)だ。

「真珠王」として有名な実業家の御木本幸吉氏=©朝日新聞社

 1893(明治26)年に、まず半球状で貝殻の内側にくっついた「半円真珠」の養殖に成功。御木本氏らはその後、丸い形の「真円真珠」の養殖技術を実用化した。

 アコヤガイを養殖して真珠をつくる際には、「核入れ」という作業が行われる。この作業では、淡水産二枚貝の殻を丸く削った「核」を、アコヤガイの母貝の体内に入れるのだが、実はそれだけでは真珠はできない。「核」に加えて、ほかのアコヤガイの外套膜を2㍉角ほどの大きさに切り取った「ピース」と呼ばれる小片も、母貝の体に入れる必要がある。

 三重県水産研究所主幹研究員の渥美貴史さんによると、ピースの細胞は増殖・伸張して袋状になり、核を包み込む。この袋の中で、核のまわりに炭酸カルシウムとたんぱく質が幾重もの層を作り、養殖真珠が生まれるのだ。核入れから真珠の取り出しまでの期間は、半年から1年半という。

美しい輝きを放つ真珠=三重県水産研究所提供

 美しい輝きを放つ「真珠層」は、炭酸カルシウムの結晶(アラゴナイト)とたんぱく質でできている。アコヤ真珠の場合、200~400㌨メートル(ナノは10億分の1)の薄い層が1000枚ほど積み重なることで、厚さ0.4㍉ほどの真珠層を形成している。

 「真珠を構成する層をレンガの塀にたとえるなら、炭酸カルシウムがレンガで、たんぱく質はそのすき間にあるセメントです」と渥美さん。光が真珠層に当たると、各層で複雑に反射、透過、屈折する。こうして光の干渉が起きて「構造色」が生み出される。この構造色に加えて、真珠層に含まれる色素も、色合いを左右する。黄色い色素が多いと、「ゴールド」の真珠になる。

 農林水産省の漁業・養殖業生産統計によると、国内の養殖真珠の生産量(2022年)は約12.8㌧。このうちの9割を、「三大産地」と呼ばれる長崎県、愛媛県、三重県で占める。

 三重県の景勝地である英虞(あご)湾は、御木本幸吉氏が真珠養殖の実験を始めた場所だ。渥美さんら三重県水産研究所の研究チームは2023年5月から、英虞湾を含む2カ所で、海洋酸性化のモニタリング調査をスタートした。日本財団の「海洋酸性化適応プロジェクト」の一環で、英虞湾ではアコヤガイ養殖場周辺の海水温や塩分、水素イオン濃度指数(pH)などを測定している。

真珠養殖産業発祥の地として知られる三重県の英虞湾=三重県真珠振興協議会提供

 同プロジェクトではこれまで、米国で被害例が報告されたマガキをターゲットに、国内各地の養殖場周辺で海洋酸性化のモニタリング調査を進めてきた。アコヤガイもまた、マガキと同様に石灰化生物であり、養殖用の二枚貝として人々の暮らしを支える存在だ。このため三重県の研究チームは、真珠の養殖場がある英虞湾とマガキの養殖場がある生浦(おおのうら)湾の2カ所で、モニタリングを行うことにした。

 2023年のデータを集計したところ、年間を通して最もpHが低かったのは、英虞湾では6月16日の7.393、生浦湾では6月3日の7.199だった。このデータについて、渥美さんは「いずれも大雨が降った後の短期的な現象ではあるが、かなり低い数値が出ることが分かったので、今後も継続して調査していきたい」という。

 現状では海洋酸性化による影響は、アコヤガイ、マガキともに確認されていない。渥美さんは「最近、海洋酸性化のことが様々なメディアで報じられるようになり、養殖業者さんの中には今後のゆくえについて不安を感じる人もいると思う。三重県は真珠養殖発祥の地。何か問題が起きてしまってからではなく、今のうちから、海洋酸性化の状況について、きちんとウオッチしていくことが大切だと考えている」と語る。

 (科学ジャーナリスト 山本智之)

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