海の酸性化 もう一つのCO2問題

寿司ダネが消えていく?

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国産の寿司ダネを使った握り寿司=山本智之撮影

 

 世界気象機関(WMO)によると、大気中の二酸化炭素(CO₂)濃度の世界平均値は2022年、過去最高の417.9ppm(ppmは100万分の1)に達した。これは、産業革命以前の水準(278ppm)に比べて1.5倍という高さだ。

 

 このまま大気中のCO₂が増加し、それが海に溶け込み続ければ、「海洋酸性化」はさらに高いレベルへと進むことが避けられない。その結果、私たち日本人が長年親しんできたいくつかの寿司ダネは将来、姿を消してしまうかもしれない。具体的な寿司ダネについて、どんな影響が懸念されるのか、一貫ずつ考えてみよう。

 

 冒頭の写真はウニやイクラも入った、ちょっと高級な握り寿司。国産の寿司ダネだけを使っている。

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ずらりと並んだ寿司ダネの種類は、左上から順に、①ホタテガイ②トロ(クロマグロ)③赤身(クロマグロ)④甘エビ(和名はホッコクアカエビ)⑤ホッキ貝(和名はウバガイ)⑥赤貝(アカガイ)⑦アワビ(エゾアワビ)⑧イクラ⑨ウニ(エゾバフンウニ)だ。

 

 

 

 酸性化が進み、海水の水素イオン濃度指数(pH)が低下することで、真っ先に悪影響を受けるのは貝類やサンゴなど、炭酸カルシウムの殻や骨格を作る「石灰化生物」だ。

 

 独特の香りと甘みがあり、寿司ダネとして重宝される「ホッキ貝」もその一つ。正式には「ウバガイ」という和名があり、国内の研究機関で酸性化の影響を調べる科学実験がすでに行われている。

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「ホッキ貝」という流通名でおなじみの食用二枚貝「ウバガイ」=山本智之撮影

 

 

 海洋生物環境研究所の研究チームは、ウバガイの稚貝を水槽で飼育し、酸性化の影響を調べた。水槽ごとに海水に溶け込ませるCO₂の濃度を600ppm、800ppm、1000ppm、1200ppmにそれぞれ設定して、20週間にわたって飼育を続けた。

 その結果、自然海水で飼育した場合に比べて、800ppm相当では貝殻の厚さが9%減少、1000~1200ppm相当では15%以上も減少していた。実験結果の数値には多少のばらつきもあるが、CO₂濃度が現在の約2倍またはそれ以上になると、ウバガイの稚貝は形成できる殻の厚みが1割ほど減ってしまうことが実験によって示された。

 貝殻が薄くなると、稚貝は魚などの外敵に捕食されやすくなり、生残率の低下につながる可能性がある。ウバガイは3~4年で性成熟して親貝になるが、稚貝の段階で酸性化のダメージが深刻化すれば、資源量の減少や漁業への打撃につながる恐れがある。

 

 このほか、写真の握り寿司の中では、赤貝(アカガイ)やホタテガイ、アワビなどの貝類も、酸性化が進む将来は危機に直面する恐れがある。

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寿司ダネとしてよく使われる「アカガイ」=山本智之撮影

 

 

 

 もしもこれらの貝類が酸性化によって大きなダメージを受け、漁獲量や流通量が極端に減ってしまったら、私たちが口にできる握り寿司は、下の写真のようになってしまうだろう。

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もしも海洋酸性化で「貝類」の寿司ダネが消えたら・・・=山本智之撮影

 

 

 

 それだけではない。貝類だけでなく、ウニの殻も炭酸カルシウムでできており、海水の酸性度が高まると幼生の形態に異常が起きることが実験で確認されている。エビ類についても、酸性化が進むと悪影響を受けるという実験結果が日本の研究チームによって示されている。こうして「ウニの軍艦巻き」と「甘エビの握り」も姿を消すと、食べられる握り寿司の種類は大幅に減り、すっかり寂しい感じになってしまう。

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酸性化の影響でウニやエビも消えたら・・・=山本智之撮影

 

 海の酸性化によって様々な寿司ダネが失われた結果、残ったのはクロマグロの「トロ」と「赤身」、「イクラの軍艦巻き」の3貫だけに。だが、これらの寿司ダネも安泰というわけではない。「海の温暖化」も同時に進むからだ。

 

 クロマグロ(太平洋クロマグロ)は、歴史的に乱獲で大きく数が減ってしまった魚の代表格で、現在は国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストで準絶滅危惧種(NT)にランクされている。そして、温暖化で海水温が上昇すると、生まれたばかりのクロマグロの仔魚たちの生残率が低下し、将来さらに数が減ってしまう可能性が指摘されている。クロマグロの親魚がせっかく産卵しても、仔魚がほとんど育たないという悪循環に陥る恐れがあるのだ。

 

 イクラの軍艦巻きも、海の温暖化で危機に直面する。サケがいなくなれば、イクラも手に入らなくなるからだ。サケは冷たい海水を好む冷水系の魚で、このまま海水温の上昇が続けば、日本は将来、生息の適地ではなくなる恐れが高いと予測されている。サケの不漁は近年、すでに三陸地方などで深刻化している。研究者が長年警告していたシナリオ通りに、日本ではサケの漁獲量が減少傾向にある。

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クロマグロ(左)とサケ(右)=山本智之撮影

 

 このように、海の「酸性化」と「温暖化」の両方の影響を考えると、ずらりと並んでいた色鮮やかな寿司ダネの数々は消え去り、残ったのは「ガリ」だけ、というショッキングな結果になった。

 

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「酸性化」+「温暖化」の悪影響が深刻化すれば、こんなことに・・・=山本智之撮影

 

 

 海の温暖化と酸性化は、いずれも大気中のCO₂の増加がその原因であり、両者は同時に進行しつつある。「寿司ダネの未来」について考えたとき、この2つの環境問題は根っこでつながっていることがよく分かる。

 

 温暖化が進んだ未来の寿司店では、いまは「熱帯魚」と呼ばれているような魚たちが、新たな寿司ダネとして利用されているかもしれない。ただ、寿司という食文化そのものは消えないにしても、寿司ダネの種類は様変わりしてしまうだろう。

 

 人類がこのままCO₂を排出し続ければ、「温暖化」と「酸性化」によって海の生態系は「ダブルパンチ」を受ける恐れがある。そして、私たちが長年親しんできた寿司ダネのいくつかは、お寿司屋さんのカウンターから消えてしまうかもしれないのだ。今回登場した寿司ダネのうち、ホタテガイやウニなどへの影響については、この連載の中で後日、改めて詳しく触れたいと思う。

 

 (科学ジャーナリスト 山本智之)

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