海の酸性化 もう一つのCO2問題

植物プランクトンにも影響

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海洋に生息する植物プランクトンの仲間。写真はいずれも珪藻類で、円形のものはActinoptychus属の一種、細長いものはLeptocylindrus属の一種=濱健夫・筑波大学名誉教授提供(顕微鏡写真)

 海の酸性化が進むと、貝類やサンゴなどの「石灰化生物」は炭酸カルシウムの殻や骨格を作りにくくなると懸念されている。だが、酸性化による影響はそれだけではない。海中に生息するプランクトンの種組成を変えてしまう恐れがあるとする研究結果も報告されている。

 筑波大学の濱健夫名誉教授らの研究チームは、静岡県・伊豆半島の研究施設に海水を入れた水槽を設置し、酸性化が植物プランクトンにどんな影響を与えるか、実験を行った。

 実験に使ったのは、環境条件が異なる3タイプの円形水槽だ。それぞれの水槽にエアレーションを設置。二酸化炭素(CO₂)濃度が約400ppm台の「通常の大気」を送り込む水槽のほかに、将来の地球環境を模して、CO₂濃度が800ppmと1200ppmの水槽を用意した。そして、海水中の植物プランクトンが、どのように変化するのか観察をした。
 実験の結果、CO₂が多く溶け込み、海の酸性化が進むと、直径が2マイクロメートル(μ=マイクロは100万分の1)未満の小型種の植物プランクトンの割合が増えることが確認された。実験開始から1カ月後のデータでは、800ppmの水槽では通常よりも最大で約2・7倍、1200ppmでは約3・5倍も多くなっていた。一方、直径が6マイクロメートルを超す大きめの植物プランクトンは、800ppmでは通常に比べて組成比が半減、1200ppmではさらに激減することが分かった(=棒グラフ参照)。
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 つまり、海の酸性化が進むと、海中に存在するプランクトンの種組成に異変が起き、全体的に植物プランクトンのサイズが小型化していくと考えられるのだ。植物プランクトンが消えてしまうわけではなく、サイズが小型化するだけなら、特に問題はなさそうだと思う人もいるかもしれない。
 だが実は、この現象が実際に起きた場合、海の生態系に大きな影響を与えることになるという。どういうことなのか。

 海の生態系では、「大きい生物が小さい生物を食べる」のが基本だ。こうした海の「食物連鎖」は、植物プランクトンからスタートする。植物プランクトンは、光合成によって栄養を作り出し、海の生態系を支えてくれる存在である。極めて単純化すると、プランクトン類→小型魚→大型魚という流れになっているのだが、この「生態ピラミッド」には、ある有名な‘ルール’がある。

 それは、「生態ピラミッドの栄養段階が1段階上がるごとに、90%のエネルギーは失われる」というものだ。具体的には、それぞれの生物は、食べた物のエネルギーの約10%を自分の体の成長に使うことができるものの、残りの90%は呼吸によるエネルギー消費などに使われてしまう。つまり、栄養段階が一つ上がる際に、上位の捕食者が受け取ることができるエネルギーの量は、おおむね10%しかないのだ。

 そこで問題となるのが、生態ピラミッドの栄養段階が「何段重ねになっているか」ということだ。栄養段階のステップ数が増えるほど、上位の捕食者が利用できるエネルギーの量は、桁違いに小さくなってしまうからである。

 このルールを、濱さんらが行った植物プランクトンの実験にあてはめて考えてみよう。海の酸性化によって、サイズの大きな植物プランクトンが姿を消し、小型種の植物プランクトンばかりになると、生態ピラミッドにおける栄養段階のステップ数が増えてしまう。その結果、途中の段階でのロスが多くなり、生態系の上位の捕食者であるマグロなどの大型魚に、十分な栄養が届きにくくなると考えられるのだ。

 もしも海中にサイズの大きな植物プランクトンが多く、①「大型植物プランクトン」→②「プランクトン食性魚類」(カタクチイワシなど)→③「魚食性魚類」(マグロなど)という捕食の流れになれば、栄養段階の数は「3段階」ですむ。

 これが、サイズが中くらいの植物プランクトンの場合だと、①「中型植物プランクトン」→②「大型動物プランクトン」→③「動物プランクトン食性魚類」(ニシンなど)→④魚食性魚類(マグロなど)となって「4段階」に増える。そして、サイズの小さな植物プランクトンの場合だとさらに栄養段階の数が増え、6段階にモデル化されるケースも考えられるのだ。

 このように、海洋生態系における「生産者」である植物プランクトンのサイズは、それを食べる生物のサイズを規定し、食物連鎖の構造全体に影響を及ぼす。

 そして、もう一つ重要な点は、「生物ポンプ」への影響だ。生物ポンプとは、海の表層に存在する炭素が、マリンスノー(プランクトンの死骸やふん)などの有機物という形で、深海へと輸送・隔離される働きをさす。

 酸性化によって、実際の海で植物プランクトンの小型化が進めば、海中の食物連鎖はこれまでよりも小さな植物プランクトンからスタートすることになる。そうなると、大きな植物プランクトンの場合に比べて、有機物がなかなか深海へ到達しにくくなる。なぜなら、サイズの大きなプランクトンほど、海の表層から海底に向けての沈降スピードが速く、小さいプランクトンは遅いという性質があるからだ。つまり、酸性化が進むにつれて、深海に炭素を隔離する「生物ポンプ」の働きが弱くなってしまうのだ。

 このように、サイズの小さな植物プランクトンばかりになると、海中に吸収された炭素が深海に沈降しにくくなってしまう。さらに、問題はそれだけではない。
植物プランクトンの小型化にともなって栄養段階が増えると、食物連鎖を構成する生物の呼吸量が全体として増加するという弊害も発生する。その結果、呼吸によって多くのCO₂が海の表層に放出されてしまうという。

 こうしたメカニズムをもとに、濱さんは「酸性化が進んでプランクトンのサイズが小型化すると、海洋によるCO₂の吸収能力が低下してしまう可能性がある。その結果、地球温暖化をさらに加速させてしまう恐れがある」と指摘する。

 海の酸性化は将来、貝類などの生物に直接のダメージを与えるだけでなく、私たちの目に見えない小さなプランクトンを介して海洋の生態系を根底から変え、地球全体の炭素循環にまで大きな影響を及ぼす恐れがあるのだ。

 (科学ジャーナリスト 山本智之)

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