海の酸性化 もう一つのCO2問題

国際シンポジウムで危機感を共有

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東京都内で開かれた国際シンポジウム「海洋酸性化:忍び寄る危機」=Economist Events/Back to Blue Initiative提供

 

 

 海の酸性化の現状について認識を深め、今後の対策について考える国際シンポジウム「海洋酸性化:忍び寄る危機」が、東京・六本木で2月に開かれた。日本財団とエコノミスト・インパクト(Economist Impact)が海洋環境保全活動の一環として企画した。

 国内外の専門家が議論を交わすとともに、海の酸性化をテーマにしたドキュメンタリー映画『The threat bubbling up(沸々とする脅威)』の上映も行われた。参加者は、酸性化が海の生態系や漁業、そして私たちの暮らしに与える影響の大きさについて、改めて危機感を共有した。

 海の酸性化の生物影響について約20年間、研究を続けてきた英プリマス海洋研究所科学部長のスティーブ・ウィディコムさんは、まず海洋の物質循環について説明をしたうえで「海の生態系の健全性が、温暖化、貧酸素化、そして酸性化によって脅かされている」と指摘した。そして、「酸性化は海洋生物だけでなく、海に依存する人類すべてにとって、現実的な危機となっている。科学的な根拠に基づいて意思決定をし、気候変動対策を進めることが大切だ」と訴えた。

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「温暖化、貧酸素化、酸性化によって海の生態系の健全性が脅かされている」と話す英プリマス海洋研究所のスティーブ・ウィディコム科学部長=山本智之撮影

 

 

 パネル討論の第1部では、国連事務総長特使(海洋担当)のピーター・トムソンさんが「海の酸性化は我々の生存にかかわる問題であるということについて、まだ理解が進んでいないのが現状だ。SDGs(持続可能な開発目標)の14番目の目標には、酸性化への対処を掲げた項目が含まれているが、違法漁業などの項目に比べれば、その注目度は低い」と指摘。

 これを受けてスティーブ・ウィディコムさんは「酸性化は目に見えない脅威だ。海岸でプラスチックごみを目にした人びとは怒るだろうが、CO₂は目に見えない。しかし、CO₂もまた、海を汚す“汚染物質”なのであり、私たちはそれを大量に海に送り込んでしまっている」と話した。そして、「多国間の枠組みで色々とやらなければならないこともあるが、酸性化の対策として具体的に何をしていくのか、それぞれの国ごとのアクションプランが必要だ。日本はそうした取り組みを実現できる国だ」と述べた。

 パネル討論の第2部では日本の海の酸性化をテーマに話し合い、筆者もパネリストの1人として登壇した。

 北海道大学准教授の藤井賢彦さんは「アメリカ西海岸では、マガキの幼生に酸性化の影響が出たことが示されたが、日本近海では今のところ海の酸性化が生物に影響を与えたという事例は報告されていない。本当に影響がないのか、あるいは、影響は出ているが私たちがまだそれを捉えていないのか、これから調査を続けて精査していく必要がある」と説明。温暖化と酸性化で日本のサンゴが激減する可能性があることを示したシミュレーション研究の結果などを紹介し、「将来的には深刻な影響が出る可能性が高い」と語った。

 「海の酸性化は、どこか遠い所で起こっているというような印象を持つ方が、少なくないのでは?」

 この日のモデレーターで、エコノミスト・インパクト シニア・エディターの近藤奈香さんからは、そんな問いかけがあった。

 筆者は「気象庁が長年行っている海洋観測のデータで、日本近海でも海水のpHが確実に低下しつつあることが、詳しい数値付きで公表されている。酸性化は未来の問題ではなく、今まさに起きている問題だ。そして、東京湾のように、私たちの身近な海でも酸性化は既にかなりのレベルまで進行している」と答え、海洋酸性化の問題は時間的にも空間的にも私たちに身近な存在であることを訴えた。

 東京湾など日本の沿岸海域で起きていることについて、水産研究・教育機構水産資源研究所主幹研究員の小埜恒夫さんは「海の中でも沿岸域は、生物による活動の影響を大きく受け、外洋に比べてpHの変動幅が大きい。人間活動によって川から窒素やリンなどが流れ込むと、海の表面では植物プランクトンが増えて光合成をし、海水中のCO₂を吸収するのでpHが高くなる。

 その一方で、つくられた有機物が海底に沈んで分解すると、今度はCO₂を放出するので、海底付近のpHは下がって酸性化する」と解説。「大気のCO₂濃度が増えるのとは別の仕組みで、沿岸ではpHが上がったり下がったりする現象が起きている。富栄養化によってpHは下がるし、藻場を刈り取ってしまうとCO₂の吸収が減ってpHが下がる、というようなこともある」と話した。

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パネル討論の第2部では、日本の沿岸の酸性化をテーマに話し合った=Economist Events/Back to Blue Initiative提供

 

 

 水産大学校元理事長の鷲尾圭司さんは、水産業の現場の視点から話をした。鷲尾さんは「近年、養殖用のカキの種苗の採捕がうまくいかない事例がいくつか出てきている。まだその原因は確定できていないが、心配な要素の一つとして、酸性化に注目していかなければならないと考えている」と語った。

 国による政策のあり方も議題となり、2021年に閣議決定された「気候変動適応計画」に「二枚貝の養殖などへの酸性化の影響予測を行い、予測に基づいた対策技術を開発する」との文言が盛り込まれていることなどが、小埜さんから紹介された。鷲尾さんは、総合海洋政策本部が中心となって改定を進めている「海洋基本計画」について言及し、「項目としては気候変動や海の酸性化もキーワードとして挙げられているが、優先順位としてはかなり低い」と指摘した。

 日本の沿岸をテーマにした討論全体を通じて、各地の漁業者と研究者が互いに協力し、海の酸性化のモニタリング調査を継続していくことの大切さを確認し合った。

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国際シンポジウムの登壇者。左からスティーブ・ウィディコムさん、小埜恒夫さん、筆者、近藤奈香さん、チャールズ・ゴダードさん、藤井賢彦さん、鷲尾圭司さん=Economist Events/Back to Blue Initiative提供

 

 

 海の酸性化によって暮らしに大きな影響を受けるのは、決して一部の漁業者や水産関係者だけではない。私たち日本人が長年食べ続けてきた豊かな“海の幸”が、減少してしまったり、従来のようには簡単に手に入らなくなったりする可能性があるからだ。

 それは、アワビやウニのような和食の高級食材かもしれないし、もっと身近なアサリなどの水産物かもしれない。海の酸性化は、私たちの「食卓の問題」であり、その意味において、すべての人が「自分ごと」としてとらえるべき環境問題といえるだろう。

 食卓に関わるような大きな問題が顕在化してしまってからではなく、それ以前の段階から、海の酸性化の問題について科学的なデータや調査結果などを報道し、警鐘を鳴らしていく必要がある――。国際シンポジウムへの参加を通して、改めてそう強く感じた。

 (科学ジャーナリスト 山本智之)

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