エゾアワビのゆくえ(下)
国際自然保護連合(IUCN)の最新版レッドリストで絶滅危惧種に指定されたエゾアワビ。美味で高価な貝だけに、減少の要因として乱獲の影響が指摘されているが、心配はそれだけではない。地球温暖化による海水温の上昇、そして、海の酸性化によって将来、さらに厳しい局面に立たされる可能性がある。
水産研究・教育機構水産資源研究所の高見秀輝グループ長によると、エゾアワビの資源量は、長期的な海洋環境の変動によって実際に大きな影響を受けることが、近年の研究で明らかになっている。
具体的には、冷たい海流である「親潮」の南下傾向が強まって三陸沿岸で冬季の海水温が低い状態が続くと、エゾアワビの稚貝の生残率が低下するという。
高見さんらのグループが岩手県で行った調査によると、年間で最も水温が下がる2~3月の時期に、水深10メートルにおける水温が6~9℃と比較的暖かい年は、稚貝の生残率が高く、平均で65.3%にのぼることがわかった。一方で、この時期の水温が5℃以下と低い年には死ぬ個体が多く、生残率の平均はわずか8.3%にとどまった。つまり、エゾアワビの稚貝の生残率は、生まれて初めて遭遇する低水温の厳しさによって大きく変わるのだ。
こうした現象がなぜ、起きるのだろうか。エゾアワビは北の冷たい海に適応して進化した種だが、アワビ類はもともと暖かい海を起源とするグループの貝であるため、稚貝の時期は低水温に対して弱いようなのだ。
高見さんは「今後、温暖化が進んで海水温が上昇すれば、エゾアワビの稚貝が生き残る上では、有利な環境変化となるだろう」と話す。
では、地球温暖化による海水温の上昇は、エゾアワビが種を存続させていく上でメリットが大きいのだろうか?
残念ながら、そうはならないという。なぜなら、海水温が高くなると、エゾアワビの成貝にとって重要なエサであるコンブ類が減ってしまうからだ。
実際、冬から春にかけて水温が平年より高く、沿岸のマコンブ(Saccharina japonica)などの群落が激減した2016、17年には、エゾアワビの肥満度が通常の年に比べて低下する現象が確認された。マコンブなど冷水性の海藻は、海水温が高すぎると成長が停滞する。また、水温上昇に伴ってウニによる食害が活発化することによっても減少する。
エサとなる海藻が不足すると、エゾアワビの成長もまた滞ってしまう。そして、体がやせ細った成貝は、岩に張り付く力が弱くなり、外敵に襲われやすくなる可能性もあるという。
こうしたことから高見さんは、「温暖化が進むと、エゾアワビの成貝にとってはより過酷な環境となり、漁獲量の減少につながるだろう」と話す。
これまでは、海水温の高い年もあれば、低い年もあって、エゾアワビたちは命をつなぐことができた。しかし、温暖化が進み、海水温の高い年ばかりがずっと続くようになれば、エゾアワビの生活は成り立たなくなることが懸念されるのだ。
そして、忘れてはならないのは、地球温暖化と同時に進行しつつある「海の酸性化」の影響だ。酸性化が進むと、貝類は炭酸カルシウムの殻をつくりにくくなる。とくに懸念されるのは、成貝よりも貝殻が薄く、低pH環境への耐性が低い稚貝への影響だ。
高見さんは、生まれて間もないエゾアワビの稚貝を使って飼育実験をした。その結果、CO2濃度が1000ppm前後になると、貝殻に凹凸(おうとつ)が生じたり、穴があいたりすることが確認された。この実験は、酸性化が進む将来、エゾアワビの稚貝は殻がうまく育たず、生残率が低下してしまう恐れがあることを示している。
大気中のCO2濃度は現在、400ppm台なので、「1000ppm」と聞くと遠い将来のような気もする。しかし、そこには油断できない落とし穴があるという。それは、pHの「日周変動」である。
エゾアワビが暮らすような沿岸の浅い海域では、日中は海藻が活発に「光合成」をするため、海水中のCO2が吸収されてpHは高くなる。しかし、夜間には逆に、海藻の「呼吸」によってCO2濃度が高まり、pHが大きく低下してしまうというのだ。
このグラフは、コンブ類が生える北海道の沿岸海域で実際に観測された海水のpHの「日周変動」をもとに、将来の沿岸域におけるCO2濃度の変化を予測したものだ。
たとえば、ベースとなるCO2濃度が800ppmの場合、夜間には、エゾアワビの稚貝にとって危険なレベルである「1100ppm超え」の時間帯が、1日あたり4時間ほど“出現”してしまうという。
高見さんは「これまで、酸性化による生物影響については、沖合のpHデータをもとに将来予測が行われてきた。しかし、沖合に比べて沿岸域は、pHの日周変動が大きい。こうした日周変動の影響を加味して考えると、海の酸性化がエゾアワビに悪影響を及ぼすようになる時期は、これまで考えられていたよりも早くなる可能性がある」と話す。
(科学ジャーナリスト 山本智之)