エゾアワビのゆくえ(上)
鮮魚店に並ぶアワビには、複数の種類がある。このうち、やや小ぶりなものは「エゾアワビ」(Haliotis discus hannai)であることが多い。日本で食用にしているアワビ類は、基本的には温暖な海域に分布しているのだが、エゾアワビだけは三陸地方や北海道など冷たい北の海に生息している。
エゾアワビは味の良さで知られ、中華料理の高級食材「干しアワビ」の原料にも使われている。刺し身や寿司(すし)のほか、酒蒸し、バター焼き、網の上で殻ごと焼く「踊り焼き」など、様々に調理される。
岩手県ではエゾアワビの肝を「としろ」と呼び、その塩辛を瓶詰めにした製品が売られている。磯の香りを思わせる独特の風味があり、ねっとりとしてクリーミーな食感。日本酒によく合う珍味だ。
北方系のアワビ類であるエゾアワビは、実は、房総半島や伊豆半島などでよく漁獲されるクロアワビ(Haliotis discus discus)の亜種である。寿命ははっきりしないが、十数年から20年近く生きるとみられている。産卵期は主に8~10月。アワビ類の貝殻には、呼吸をするために海水を出し入れする「呼水孔」(こすいこう)という穴があるが、メスの卵とオスの精子は、それぞれこの穴から海中に放出される。
水産研究・教育機構水産資源研究所の高見秀輝・グループ長は「低気圧が近づいて海が荒れると、それを合図に放卵・放精が一斉に行われる」と話す。こうした「一斉産卵」は、台風の襲来に伴う大時化(おおしけ)をきっかけに起こることも多いという。
なぜわざわざ、天候のコンディションが悪く、海が荒れたときに卵を産むのか不思議な感じもする。しかし、岩に張り付いて暮らし、あまり遠くには移動できないエゾアワビたちにとって、時化はむしろ、大波によって子孫を遠くへ運んでもらえるチャンスなのかもしれない。
海中で受精後、1日以内に幼生が孵化(ふか)する。生まれた直後の「トロコフォア幼生」(担輪子幼生)は直径0.2ミリほど。その後、体を覆う炭酸カルシウムの幼殻(ようかく)をもつ「ベリジャー幼生」(被面子幼生)になる。幼生のうちは、プランクトンとして海中を漂いながら卵黄を主な栄養源として暮らし、エサはとらない。そして、生まれてから5~7日後に直径0.3ミリほどの稚貝に変態し、海底での生活へと移行する。
高見さんによると、エゾアワビの稚貝は、初期の段階では石灰藻類(無節サンゴモ類)に付着している珪藻(けいそう)などの微細藻類を食べて暮らす。その後、成長に伴って、ワカメやアラメ、コンブ類などの大型海藻を食べるようになる。稚貝は、生まれた年の12月までに2~8ミリに成長する。そして、殻長が5センチほどになると性成熟する。漁獲対象となる殻長9センチ以上に育つまでには5年以上かかる。
エゾアワビは、国際自然保護連合(IUCN)が2022年12月に発表した最新版のレッドリストで、クロアワビなどとともに、近い将来に野生での絶滅の危険性が高い「絶滅危機(EN)」に指定された。
国内では1970年には約3000トンのエゾアワビがとれたが、90年代前半にかけて大きく減少した。一時的に回復傾向を示して1000トン近くになった時期もあるが、近年は500トン以下と低迷している。
岩手県などの三陸沿岸では、2011年の東日本大震災によって、天然の稚貝が津波で流されて減ったり、種苗生産施設が破壊されて放流事業ができなくなったりして、エゾアワビ漁業が打撃を受けた。しかし、それ以前の段階で、すでにエゾアワビの水揚げ量はピーク時の3分の1以下のレベルにまで落ち込んでおり、乱獲などの要因が指摘されている。
そして、エゾアワビの運命は今後、「地球温暖化」と「海の酸性化」によって、大きく左右される恐れがある。連載の次回で、詳しく紹介したい。
(科学ジャーナリスト 山本智之)