海の酸性化 もう一つのCO2問題

養殖カキへの影響を現場で調査

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水揚げ直後のマガキ。殻を開くと、ミルク色の身がたっぷりと入っていた=広島湾、山本智之撮影

 

 食用の二枚貝としておなじみのカキ。日本の沿岸にはイワガキ(Crassostrea nippona)やスミノエガキ(Crassostrea ariakensis)、シカメガキ(Crassostrea sikamea)など様々な種類が生息しているが、市場に流通するもののほとんどは養殖されたマガキ(Crassostrea gigas)だ。養殖カキの生産量(2020年)は全国で15万9019トンあり、主な産地は広島県(9万5992トン)、宮城県(1万8432トン)、岡山県(1万5289トン)となっている。

 マガキは炭酸カルシウムの殻をつくる「石灰化生物」の一つであり、海の酸性化が進む将来は、日本のカキ産地でも被害が発生するのではないかと懸念されている。マガキの生活史の中で、特に悪影響を受けやすいのは、殻が脆弱な幼生の時期だ。

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(写真左)岡山県備前市のカキ養殖いかだ=日生町漁協提供と、マガキの「D型幼生」の顕微鏡写真

 

 酸性化がカキに与える影響をめぐっては、米国のワシントン州とオレゴン州のカキ養殖施設で2005~09年にカキの幼生が大量死する出来事があり、大きな注目を集めた。米国のこの海域は、深海から沿岸に向けて強い湧昇流が発生するなど、日本の海とはかなり環境条件が異なるが、高い濃度の二酸化炭素を含む海水が深海から湧き上がり、表層の海水が酸性化したことが大量死の要因になったと指摘されている。

 日本財団やNPO法人里海づくり研究会議(岡山市)などの調査チームは20年から、海の酸性化がカキに与える影響について、国内の養殖カキ産地を対象にモニタリング調査を始めた。日本財団が大学や研究機関、漁業者らと連携して進める「海洋酸性化適応プロジェクト」の一環で、岡山、宮城、広島の3県が調査対象に選ばれた。

 調査では、現場海域の海水の「水素イオン濃度指数」(pH)や水温・塩分、溶存酸素量などについて、センサー類を使って連続で観測した。また、海中を漂うマガキの幼生(D型幼生)を採集し、酸性化による形態異常などが発生していないかどうかを観察した。

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(写真左)海の酸性化について調査が続けられている広島湾の観測点と、観測点に設置したpH計などの計測機器

 

 調査チームは今年3月、これまでに得られた調査データを発表した。調査チームの藤井賢彦・北海道大学准教授によると、マガキの幼生を顕微鏡で観察した結果、調査対象のどのカキ産地でも、幼生の殻が変形するなどの海洋酸性化による悪影響は見つからなかったという。その一方で、貝殻のつくりやすさの指標となる海水の「アラゴナイト飽和度」については、驚くべきデータが得られた。

 海外での飼育実験では、海水の酸性化が進んでアラゴナイト飽和度の値が「1.5」を下回ると、マガキの幼生に悪影響が出ると報告されている。今回の調査では、この「1.5」という閾値よりも低い数値の海水が、場所や時期によっては日本のカキ産地の海域で発生していることが確認されたのだ。

 例えば、21年のデータを見ると、岡山県備前市日生(ひなせ)町のカキ養殖海域では、主に夏から秋にかけて、アラゴナイト飽和度が1.5より低くなる現象が何度も発生している(グラフ参照)。この現象は、マガキの幼生が誕生する時期である産卵期にもみられた。

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岡山県のカキ養殖海域(備前市日生町)の海水のアラゴナイト飽和度(左目盛り)。データは同じ海域内にある四つの観測点ごとに色分けされている。観測点や時期によっては、マガキの幼生に酸性化の影響が出るとされる閾値(アラゴナイト飽和度1.5)を下回っていることが分かる。水色の棒グラフは降水量(右目盛り)=濵野上(2022)より引用

 

 

 観測データを分析した藤井さんは「大雨が降ったあとに、アラゴナイト飽和度の低下がよくみられる」と指摘する。降雨やそれに伴う河川からの淡水の流入増加によって塩分が低下したこと、河川から流入した有機物が分解されて二酸化炭素の発生が増えたこと、などがアラゴナイト飽和度の低下を招いたと考えられるという。

 大気中の二酸化炭素の増加によって、海の酸性化がいま世界中で進行しつつあるが、それに加えて、降雨などの環境条件による局所的な影響についても注目していく必要があることを、今回の連続観測のデータは示している。

 NPO法人里海づくり研究会議の松田治・理事長(広島大学名誉教授)は東京都内で開かれた記者会見で、「カキの幼生に形態異常が見られなかったことについては一つの安心材料だ」とした上で、海水のデータについては「手放しで喜べる状態ではない。今後、水産生物への影響が出る可能性は十分にあるということを認識しなければならない」と語った。

 水槽実験による研究で「マガキの幼生に悪影響が出る」とされる数値が観測されたのに、実際の海ではマガキの幼生に何の影響も出ていない――。これは、一見すると矛盾した結果だ。1.5という閾値を下回った期間が短かったために幼生に悪影響が出なかっただけなのか、それとも、アラゴナイト飽和度の低い海水を避けて幼生が生息深度を変えるなどしたため影響を免れたのか、そのあたりは今後明らかにすべき課題である。

 いずれにしても、こうした実際の海で得られた調査データは、とても貴重なものだと言える。プロジェクトの検討委員を務める水産研究・教育機構水産資源研究所の小埜(おの)恒夫・主幹研究員は「これまで日本では、酸性化に関する調査は大学や研究機関が行うものがほとんどだった。今回、漁業の現場に近い民間の方々が自分たちでプロジェクトを立ち上げて調査をしたということは、一つの大きなトピックだと思う」と話す。

 (科学ジャーナリスト 山本智之)

 

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