木育とおもちゃ美術館

先人からの「哲学」を受け継ぐおもちゃ美術館

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2023年7月15日にオープンした佐川おもちゃ美術館(いずれも東京おもちゃ美術館提供)

 東京おもちゃ美術館が東京都新宿区で産声をあげたのは2008年。その5年後の2013年に「やんばる森のおもちゃ美術館」が全国初の姉妹おもちゃ美術館としてオープンしてからはや10年。特にこの2年間は、「福岡おもちゃ美術館」、「讃岐おもちゃ美術館」、「木曽おもちゃ美術館」、今年に入って「那賀町山のおもちゃ美術館」、そして7月には「佐川おもちゃ美術館」がオープンした。これで全国12館。まさに開館ラッシュが続いている。

 どうしてこれほどまでに、おもちゃ美術館は、増え続けているのか?

 まずは全国的に地域材活用の機運が高まっていることがあげられる。おもちゃ美術館を森林林業活性化の推進力にしたいという自治体の思いである。その背景にはもちろん、SDGsやカーボンニュートラルの実現という差し迫った課題もある。

 またおもちゃ美術館が、地域の魅力発信の場になっているということも大きな理由といえる。地元の住民に、改めて地域の魅力を知ってもらうとともに、時には遠く県外、国外からの来館者にも、その魅力を伝えることで、関係人口を増やすことにつながる。

 さらに廃校を含む公共施設の利活用の推進、子育て支援の充実、商店街の活性化、道の駅の経営持続性の実現など、様々な地域課題解決のためにおもちゃ美術館が誘致されることも多い。

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長門おもちゃ美術館の看板上部にある「イワシの組み木」は、金子みすゞの詩『大漁』にちなんでいる

 こうした「直接的理由」とともに、「間接的理由」も考えられる。全国に広がるおもちゃ美術館の立地を分析してみたところ、おもちゃ美術館ができた場所は、その土地にゆかりの深い有名な作家、小説家、学者、文化人がいたということがみえてきた。ある意味豊かな文化的土壌が存在しているということも、立地と大いに関係しているのではないか。

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長門おもちゃ美術館内に300本ある丸柱は、長門の森に生える11種類の樹種でできている。それぞれの割合も実際の生息率に基づいていて、長門の森の多様性を表している

 例えば長門おもちゃ美術館。まさに美術館がつくられた仙崎という場所は、詩人金子みすゞが生まれ育った場所である。その金子みすゞの代表作のひとつに『私と小鳥と鈴と』がある。「みんなちがって、みんないい。」と唱っているこの詩は、まさに人間であろうが、動物であろうが、無機物であろうが、それぞれの役割や価値があるので、人間だから優れているとか、「モノ」だから価値がないということではなく、「みんないい」と主張する。今の言葉で言えばまさに「ダイバーシティ」、多様性の尊重を高らかにうたっている。また『大漁』という詩では、前半では、鰮(イワシ)の大漁に沸く浜の漁師(=人間の視点)を描き、後半では一転して、多くの仲間の命が失われた鰮の悲しみ(=イワシの視点)を描いている。人間中心主義に陥りがちな我々に対して、大いなる警鐘を鳴らしている。

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花巻おもちゃ美術館の乗用玩具は、「銀河鉄道の夜」にちなんでつくられている

 例えば花巻おもちゃ美術館。花巻といえば、宮澤賢治。その賢治が遺した作品のひとつに『虔十公園林(けんじゅうこうえんりん)』がある。主人公の虔十は、みんなに馬鹿にされながらも、杉を植え続ける。やがて虔十は亡くなるが、その何十年後、その杉林は「公園林」となり、多くの人々の心を癒す場所になる。そして、「全く全くこの公園林の杉の黒い立派な緑、さはやかな匂(にほひ)、夏のすゞしい陰、月光色の芝生がこれから何千人の人たちに本当のさいはひが何だかを教へるか数へられませんでした。」というくだりがある。宮澤賢治は、岩手県の風土や自然を作品の中に盛り込んだ作家として知られている。今日、賢治が注目されているのは、自然が人間環境から疎遠になりつつあるなかで、「自然との交感」を感じさせる作品が多く存在することによるという指摘もある。生涯をかけて「本当のさいはひ」を探求し続けたと言われる賢治。豊かな自然が多くの人々に「さいはひ」をもたらすというこの『虔十公園林』のストーリーこそ、「木育」がめざすところとも通じているといえるのではないか。

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花巻おもちゃ美術館の随所に見られるアーチ型のデザインは、「銀河鉄道の夜」のモチーフとなった岩手軽便鉄道のアーチ橋「めがね橋」を模してつくられた

 それ以外にも、「焼津」には小泉八雲がいる。琉球王国の名だたる三司官のひとりである蔡温は「やんばる」と縁が深い。「徳島」には賀川豊彦が、「那賀町」には北條民雄が、川端康成が、「木曽」には島崎藤村がいる。最も新しい「佐川」は、NHKの朝ドラ効果で、空前のブームとなった牧野富太郎の生誕地である。

 もちろん金子みすゞや宮澤賢治が「木育」ということばを使ったわけではない。ただおもちゃ美術館が立地している場所が、著名な文学者や知識人を輩出している地と重なっていることは、単なる偶然とは思えない。明治維新以降、近代化に伴って西洋の「自然観」が入り込み、自然は克服するものという「人間中心主義」ともいうべき価値観が浸透してきた。これに対し、彼らは元々日本に根づいていた自然観、つまり自然や森を敬い、自然とともに生きることを大切にするといういわば「生命中心主義」ともいうべき価値観を、それぞれの立場から、詩や小説、絵本として、「作品」に紡ぎ上げていったということではないだろうか。そうした文化的土壌の上に、おもちゃ美術館ができているように私には思えるのである。

 くしくも2023年は、宮澤賢治没後90年、金子みすゞ生誕120年にあたる。全国に広がる木育の拠点たる「おもちゃ美術館」についての連載はひとまず今回で終了する。ただ、これからも先人が考えに考え抜いて編み出した人間のくらしと自然との関係性を再構築する「哲学」を、もう一度学び直し、木育の推進の原動力にしていきたいと強く願っている。

 (東京おもちゃ美術館副館長 馬場清)

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