山あいの町でおもちゃ美術館はどのようにして生まれたのか? 那賀町山のおもちゃ美術館①
那賀町は、徳島県南部に位置し、人口約7千人、総面積約700平方㌔の自治体である。広大な町域のほとんどが森林で、森林率は約95%。その多くが人工林で、私有林の人工林の面積は全国第4位、森林環境譲与税の付与額も全国11位(2022年度)となっている。一説によると、奈良、平安の頃から林業が盛んだったと言われ、安土桃山時代の天正年間には、大坂城築城のために、用材が搬出されたとも伝わっている。まさに古くから、徳島林業を支えてきた地域のひとつである。
その那賀町でも、全国の林業地と同じく、林業はかつての勢いがない。1980年には素材生産量は15万立方㍍を超えていたが、2005年には約5万立方㍍まで減少、町内の林業従事者数も、同時期で860人から139人に減少した。ただその後は、国内自給率の高まりと歩を同じにして、生産量は上昇に転じ、10万立方㍍を超えるまでに復活してきている。
そんな那賀町が、さらなる林業活性化を目指して、2017年3月、徳島県内の自治体としては初めて、ウッドスタート宣言を行った。誕生祝い品は「ゆずのつみき」。町内で生産される全国的にも有名な「木頭ゆず」をかたどった、おもちゃである。もちろん町内で伐採される「木頭スギ」を使っている。
同じ年の11月、那賀町木育円卓会議が行われた。この円卓会議には、町内にある徳島県立那賀高等学校森林クリエイト科の高校生が多数参加し、まずは「那賀町材を使った商品開発」をテーマに、グループワークを行った。午後には高校生によるプレゼン、そして川上から川下まで、様々な木育関係者が集まって、高校生の提案を議論するという、全国的に見てもユニークな木育円卓会議となった。
さらに町内の動きとしては、17年に林業ビジネスセンターが、翌18年には那賀町林業テクノスクールが開設され、林業従事者の育成にも力を注いでいる。
その後、徳島県が、全国初の県立のおもちゃ美術館を設立することになり、21年10月に徳島木のおもちゃ美術館をオープンさせた。その流れを受けて、徳島林業を支えてきた那賀町にこそ、おもちゃ美術館をつくりたいという思いを実現。23年3月「那賀町山のおもちゃ美術館」が、全国11番目のおもちゃ美術館としてオープンした。
その基本構想では、おもちゃ美術館の整備の必要性として、①木育推進による林業の担い手の育成②良質なおもちゃと遊びで「子育てしやすいまち」に③おもちゃ美術館への町民の参画④木育ツーリズムによる交流人口の増加を挙げている。
那賀町の場合、全国の他のおもちゃ美術館と比べて、必ずしもアクセスがいいとは言えない。人口減少と高齢化が続く、典型的な中山間地域の自治体である。一方、基幹産業である林業は、だいぶ持ち直してきたとはいえ、放っておけば担い手は減り、山そのものが荒れてくる可能性は高い。こうした状況の中で、特に林業の活性化と担い手の育成、さらには交流人口の増加を「おもちゃ美術館」という「装置」を使って、実現していくことを目指したのである。
おもちゃ美術館のコンテンツの詳細は次回以降に紹介するが、那賀町山のおもちゃ美術館では、上記の地域課題をかなり意識した遊具やおもちゃづくり、さらには人員配置が行われた。もちろん那賀町ならではの良さを感じられる空間や遊具、什器、おもちゃもオリジナルで多数制作、設置された。
オープンまでに、館内で活動するボランティアである「おもちゃ学芸員」の養成を計4回行い、約100人のおもちゃ学芸員を育成した。そのほとんどの方が町内在住者であるというのも、那賀町山のおもちゃ美術館の大きな特徴である。それだけわが故郷にできる施設に対する期待の高さがあらわれていると考えられる。
オープン以来、約5カ月半で、1万8千人超の入館者でにぎわうこととなった。他のおもちゃ美術館と異なる最大の特徴は、入館者の約9割が町外から来ているということだ。これまで「那賀町から町外へ」という人の流れはあったのだが、那賀町山のおもちゃ美術館ができたことで、「町外から那賀町へ」というこれまでとはまったく逆の人の流れができたということである。
(東京おもちゃ美術館副館長 馬場清)