全国に広がるおもちゃ美術館と木育 徳島木のおもちゃ美術館③
徳島の木の文化を、遊びを通して体験
皆さんは「徳島」と聞いたら、何を思い浮かべるでしょうか。おそらく多くの人は「阿波踊り」だと思います。あとは人気の観光地となっている「鳴門の渦潮」「祖谷のかずら橋」あたりでしょうか。
「徳島木のおもちゃ美術館」をつくるにあたり、木育の拠点としてこの美術館からどんな徳島の木の文化を発信すべきか、私たちは議論を重ねました。そこで選んだのが、全国的にはあまり知られていない「遊山箱」と「阿波人形浄瑠璃」です。いずれも、徳島に根づく「木の文化」です。
「遊山箱」は、徳島に伝わる手提げの重箱。昔から春の節句に、子どもたちが自分の遊山箱をもって、野山に出かける風習がありました。なかには、巻きずしや煮しめ、ういろうなどのごちそうが入っています。それを食べ終わると、家々を回り、おかわりを入れてもらいます。
遊山箱は、木でつくられています。もともと徳島では、船、そして仏壇、鏡台と、つくるものは移り変わっても、ずっと木工が盛んでした。遊山箱は、そうした木工業の端材でつくられたと言われています。館内には、えりすぐりの県内8人の遊山箱職人の手によるオリジナルの遊山箱がずらりと並べてあります。
かたちはもちろん、材や大きさ、細工もいろいろ。中には、木製のパーツを組み合わせるとおひな様や兜(かぶと)になる遊山箱や、徳島名産の藍で染めた遊山箱もあります。世界最大級とされる遊山箱や、徳島県の木・ヤマモモでつくった貴重な遊山箱も。さらには「阿波指物」の名工がつくった高級遊山箱は、子どもたちが触るのは少し緊張するかもしれません。
けれども、その職人さんからは「子どもたちに本物の木に触って、遊んでもらいたい。壊れたら直せばいいよ」と言われています。子どもたちは、そんなバラエティーに富んだコレクションの中から、自分の好きな遊山箱を選び、正絹や徳島の木でつくられた“食材”を詰め込んで、館内で「ままごと遊び」をします。この遊びを通して、木の素晴らしさ、木工の素晴らしさを体験できるのです。
「阿波人形浄瑠璃」も徳島を代表する文化の一つです。徳島は昔から藍の生産が盛んで、それを取り扱う豪商が存在していました。これも県内を流れる吉野川の恵みです。その商人たちが娯楽として、淡路島から人形座を呼んで、興行をしたことから徳島へも人形浄瑠璃が伝わりました。
また、主に県南部の農林業が盛んな地域では、集落ごとに“農村舞台”を建設し、自分たちで人形浄瑠璃を演じる文化が発達しました。今でも、農村舞台が100棟近く残り、その数は日本一だと言われています。そして、実際に活動している「座」も、県内だけで約20あると言われています。
この農村舞台を、徳島木のおもちゃ美術館内にも再現しました。将来的には、館内でボランティアとして活動しているおもちゃ学芸員の皆さんとともに「おもちゃ学芸員座」をつくって上演することが夢です。
それでは、入館者の方々には「からくり人形浄瑠璃」を楽しんでもらいましょう。毎日、時間になると四つの「頭(かしら)」と一つの「もみじ手」が動き出します。
まずは、阿波人形浄瑠璃の代表的な演目「傾城阿波の鳴門」の一場面から、お弓、お鶴ともみじ手が演じます。さらには明智光秀をモデルにした「光秀」が、浄瑠璃に合わせて動きます。クライマックスは「安珍・清姫」の道成寺伝説を題材にした「日高川入相花王」から、嫉妬に狂った清姫が鬼の形相に変わるシーンです。最後は、全員であいさつをして終了。
この伝統文化を支えてきたのも、徳島の木工技術です。人形師と呼ばれる人たちが、今でも30人ほど県内にいて、阿波人形浄瑠璃のみならず、全国の人形浄瑠璃で使われる人形を制作、修理しています。
徳島木のおもちゃ美術館では、さわりしか体験できませんが、阿波人形浄瑠璃という徳島の伝統文化を少しでも知り、その奥深さを学ぶ機会にもなっています。
一度は廃れてしまった「遊山箱」の習慣を復活させたいという思いと、ちょっととっつきにくい「阿波人形浄瑠璃」という伝統文化の素晴らしさを知ってもらいたいという思い。この二つの思いを、かたちにして、体験することができるのが徳島木のおもちゃ美術館なのです。
「木育」がめざすものの一つ、「木の文化を知る」。この二つのコンテンツは、そんなきっかけになることを期待しています。
(東京おもちゃ美術館副館長 馬場清)