ヨーロッパ地域における自然の市場化:「ネイチャークレジット」

イギリスにおいて農地の景観や動植物の生息地として重要な役割を果たしているヘッジロー(生け垣)
EU生態的勘定統合システム(ISEA)の推定では、ヨーロッパ地域では10種の生態系サービスが年間2,340億ユーロの価値を生み出しており、また、地域内で活動する民間企業の72%が各種生態系サービスに依存しているという。しかしながら、ほとんどの生態系サービスは市場に組み込まれておらず、自然修復や保全の費用の多くは公的資金に依存している実態にある。実際、ヨーロッパ地域において生物多様性保全のために必要とされる投資額は650億ユーロ(年額)と見積もられているが、このような巨額を早急に確保するためには様々なレベルの公的資金だけでなく、民間資金の導入が不可欠となっている。このための革新的なメカニズムとして、生物多様性や生態系の修復に価格をつけるPESの一種である「ネイチャークレジット」という仕組みが提起されている。
世界に目を向けると、アメリカの湿地・小河川ミティゲーションスキームは、1990年に純喪失なし(ノーネットロス)のための義務的補償の実施方針が出されて以降長い歴史を有しており、現在ではその市場規模は39億ドル(年額)に上り、世界で最も成熟している生物多様性オフセットスキームの一つとされる(詳細については、拙著:「環境にお金を払う仕組みーPESが分かる本」を参照されたい)。また、イギリスでは、2021年の環境法によって開発業者が鉱山開発を含む住宅やインフラ整備などを行う場合に、開発以前よりも生物多様性を増やす(ネットゲイン)計画を策定することが義務付けられ、生物多様性ネットゲイン(BNG)クレジットの導入が進められている。また、自主的なカーボンマーケットも各国で定着してきているが、自然(生物多様性)はその計測などの複雑性が全く異なるため、生物多様性クレジットの構築は既存の仕組みの流用が難しい。特に困難な点としては、適切な指標セットの選定、それらの生物多様性ユニットへの集約、クレジットの算定変数、ベースラインと目標状態の定義方法、追加性の証明などの諸点が指摘されている。

イギリスのヘッジローは実のなる多様な樹種から構成されている。生物多様性クレジットにおいては、線的な生物多様性ユニットとしてカウントされることとされている(イギリス・ウェールズ州、アベリストウィス近郊、2019年11月撮影)
2025年7月に欧州委員会が公表した「ネイチャークレジットへのロードマップ」では、ヨーロッパ全域において生物多様性の増進・保全を含む自然の喪失を食い止め、増加に転じるネイチャーポジティブな活動への民間資金の導入のための戦略が描かれ、ネイチャーポジティブな活動についてネイチャークレジットという市場を設けることによって、公的資金を補完することを目指している。具体的には、生態系の修復・保全に現場第一線で積極的に貢献している農業者、フォレスター(森林管理者)、漁業者、土地所有者、地域コミュニティーなどに対して報酬を支払う市場を創設し、投資家がこのような努力を支援することを促進するものである。この結果、産物の視認性を高めるとともに新たな収入の流れを生むことが期待されている。
(上智大学大学院地球環境学研究科客員教授、柴田晋吾)
参考文献
-European Commission.2025. Roadmap towards Nature Credits (URL: https://cinea.ec.europa.eu/news-events/news/eu-publishes-nature-credits-roadmap-boost-private-investment-nature-positive-actions-2025-07-07_en)
-The Nature Conservancy. 2021. Discussion Paper. Biodiversity Net Gain in England:Developing Effective Market Mechanisms.
-柴田晋吾.2019. 環境にお金を払う仕組み-PES(生態系サービスへの支払い)が分かる本. 大学k教育出版
-European Business & Biodiversity Platform. 2025. Pathways for measuring biodiversity outcomes of biodiversity credits Thematic Report