ネイチャーポジティブと生物多様性クレジット

数十年前の風害によって生じた無立木地を草原状態として維持している箇所に回復したギンイチモンジセセリ。ススキを食草としている(長野県、2024年6月撮影)
〇はじめに
近年、2030年までに生物多様性の損失を止め、回復に転じる「ネイチャーポジティブ」という目標を達成するための手段として、「生物多様性クレジット」が注目されている。世界経済フォーラムは、生物多様性クレジットは自然への投資を呼び込むための鍵となる戦略であるとして「生物多様性クレジットイニシィアテイブ」を開始し、生物多様性クレジットアライアンスという専門家組織も生まれている。
「生物多様性クレジット」とは、分かりやすく言えば、「炭素クレジット」と同様に、生物多様性という環境価値を守るために、もともと市場経済で取り引きされてきていないその価値を市場で取り引きする仕組みである。
イギリス政府は近年独自のネットゲイン政策を開始しており、ヨーロッパ委員会代表もEU区域における生物多様性クレジット市場の創設を打ち出している。現状では自主的な生物多様性クレジット市場の規模は多い年でも1,000万ドル(約14億5千万円)(2017年)に過ぎないが、その市場規模が2030年に20億ドル(約2,900億円)、2050年に690億ドル(約10兆円)になるという予測すらある。
〇オフセットとクレジットの違い
開発による生物多様性へのネガティブな影響を直接相殺するために法律で義務付けられた「生物多様性オフセット」という市場取り引きは、アメリカ、オーストラリア、イギリスなどにおいてすでに数十年間存在してきている。従来は注目度が低かったが、実はその市場規模はすでに世界全体で自主的な炭素市場の約10倍の規模となっている。
これらは環境にネガティブな影響を与える活動の埋め合わせとして開発業者が購入するものであり、開発行為の免罪符のように使われてきた。これに対し、「生物多様性クレジット」は純粋に追加分として生物多様性の総量を増やすものであり、環境にネガティブな影響を与える活動が前提でなく、環境にプラスとなる活動をする点が根本的に異なるのである。

ギンイチモンジセセリの生息が回復した現地の状況。正面の森林は無施業の場所で、広葉樹林が回復してきている(長野県、2023年11月撮影)
ただ、IUCN(国際自然保護連合)の専門家グループは、生物多様性クレジットを実施するに当たっては過去の経験や他の自然市場からの学びを踏まえる必要があることを指摘し、生物多様性クレジットが単なるグリーンウォッシングになることを防ぐための三つの点を指摘している。その第一として、生物多様性の損失を最小限に抑えるためのステップである「緩和階層(Mitigation Hierarchy)」の考え方を放棄しないことを、挙げる。
〇緩和階層(ミティゲーションハイラキー)の考え方とは
重要な点は、オフセットは自然を壊す企業等が取る最後の手段であることである。オフセットという手段を取る前に検討すべき五つの段階がある。第一段階はまず(開発を)避けること(avoid)、第二段階は最小限化すること(minimize)、第三段階は修復する(restore/rehabilitate)であり、第四段階としてオフセットと相殺(offset/compensation)がある。そして、最後の段階としてネットポジティブの達成を図る「生物多様性クレジット」が来るのである。この点については、次号でより詳しく述べたい。
(東北農林専門職大学教授・森林業経営学科長/上智大学客員教授 柴田晋吾)
[参考文献]
柴田晋吾. 2019. 環境にお金を払う仕組み ―PES(生態系サービスへの支払い)が分かる本.大学教育出版
Ecosystem Marketplace. 2025. NATURE’S INVESTMENT FRONTIER. Practical paths forward for biodiversity markets and finance.