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「大島紬」復活なるか 地域資源としての生き残りに向けて━━現地調査からの考察

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大島紬の機織りの様子=名古屋大学大学院・原田一宏教授提供

 

 鹿児島県・奄美大島の特産物として知られる大島紬(おおしまつむぎ)。1980年代まで盛んにつくられたものの、和装需要の低迷などで生産量が低下して久しい。紬の染料となる花木の採集も難しくなっており、地元関係者が地域資源の存続へと動き出している。筆者が所属する名古屋大学大学院生命農学研究科の原田一宏教授の研究室は、2021~22年に現地調査を実施した。あらためて大島紬の現状や課題を報告したい。

 大島紬は平織りの絹織物で、泥と「シャリンバイ(車輪梅)」を用いて染色する点が特徴だ。シャリンバイは、枝が車輪状に分かれ、梅に似た花を咲かせることからその名がついたとされる。大島紬に関する記録は、1720年に薩摩藩から出された「紬着用禁止令」が最古とされ、一般に普及していたと考えられている。やがて、奄美の特産物となった。

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染料となるシャリンバイ=藍場将司撮影

 

 奄美群島は2017年に国立公園に指定され、このうち奄美大島と徳之島が21年に世界自然遺産に登録された。こうした流れのなかで、海外富裕層に向けた紬の販路拡大が期待される一方、国立公園の指定によって林業従事者から施業制限に対する懸念が表明され、シャリンバイの伐採にも影響が出ているのではないか。こうした地域社会の変容と、地域資源との関係をさぐることが、調査のねらいだった。

 大島紬は戦後の高度経済成長期、施設の整備・技術改良とともに、複雑な図柄が考案されるなどして生産量が拡大。1972年には最盛期を迎え、29万7628反がつくられた。ところが90年代以降は先細り、2021年には3290反と、最盛期の90分の1まで減少した。

 国内における和装需要の減退や、技術を得た韓国が安価な紬をつくるようになったことが背景だ。生産地が京都の呉服問屋の下請けとして、交渉決定力がなかったことも理由だとされる。このため、大島紬を支えてきた職人たちも減っていった。

染料となるシャリンバイの生産量も減少の一途をたどる。資料で確認できる生産量では、最多だった1985年の8031トンから、2020年には29トンへと大きく落ち込んだ。ただし、20年までの間には奄美のパルプ・チップ材は建築用として需要の高まりから増加傾向だった。林業全体の生産が減少しているわけではないことがわかった。

 シャリンバイの生産量が近年、顕著に減少していることが明らかになった。国立公園において、特別保護地区・第1種特別地域など施業規制がかかる区域を除けば、樹木を伐採できる。しかし、島内の自然保護への機運から、シャリンバイ採集が法的には認められる場合であっても、公園内での採集を自粛する動きにつながっていると考えられる。

 紬産業の継続的・効率的な振興策の構築に向けて16年、「本場奄美大島紬産地再生協議会」が設置された。協議会は機屋(紬事業者)などでつくる組合のほか、自治体や繊維業界の関係者、学識経験者らからなる。協議会は22年の産地再生計画で「後継者の育成」「職人の待遇改善」を優先的に解決すべき課題とした。

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大島紬の染織作業の様子=名古屋大学大学院・原田一宏教授提供

 

 具体的な取り組みとして、各工程を担う職人の維持・育成に努めはじめた。紬生産は、工程ごとに職人が異なる分業制のため、1人が欠けると生産全体が滞るおそれがあるからだ。また、これまでは出来高による給料の支払いで収入が不安定だったが、機屋と職人が雇用関係を結んだ際に補助事業も紹介するなど、若い担い手の呼び込みにつなげようとしている。材木店やアパレルメーカーとの新たな連携も始まった。

 ただし、協議会には、紬生産を統括する機屋や自治体関係者は含まれるものの、職人が含まれておらず、職人それぞれが抱える課題については共有されにくい面がある。社会の変容に伴う職人の意向の変化を、協議会の取り組みに反映する仕組みが今後、必要となるだろう。

 (名古屋大学大学院 生命農学研究科 森林・環境資源科学専攻 森林社会共生学研究室 藍場将司)

 ※この原稿は藍場将司・原田一宏(2022)「地域資源としての大島紬の生産の現状と存続に向けた取組み―奄美大島の事例」環境情報科学論文集36、 P185-190の内容をもとに加筆・修正した。

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