時評

ネイチャーポジティブの実装へ 〜 鍵を握るSoN「自然の状態指標

 2030年までに生物多様性の損失に歯止めをかけて上昇に転じるネイチャーポジティブという国際目標。本年7月に熊本で開催されたグローバル・ネイチャーポジティブ・サミットには、2日間でなんと延べ約5千人が集ったという。いよいよネイチャーポジティブが標語から実装の段階に入った感もある。だが、サミット主催団体のひとつ、ネイチャーポジティブをめざす世界最大規模の自然保護団体や企業等の連合であるNPI(ネイチャーポジティブ・イニシアティブ)による、ネイチャーポジティブの測り方、SoN(State of Nature Metrics)の最終版の発表は既に2月に発表されていた骨子に留まった。

 温室効果ガスと違って、生物多様性、生態系、自然の定量化は容易でない。しかし「測れないものは改良できない」という格言があるように、測定法が合意できて評価されなければネイチャーポジティブも掛け声に終わってしまう。

 実は半世紀前から生物生息環境を定量的に評価して、保全と再生の手続きに役立ててきた例は、ローカルにはたくさんある。例えば土地開発にあたっては大事な自然の改変はまず「回避」を検討すべきだが、もし改変する場合は改変面積を「最小化」し、改変場所は「修復・再生」することでできるだけ影響を緩和し、それでも残る影響は、別途、自然再生などで「代償」する。この保全の優先順位(ミティゲーション・ヒエラルキー)を実行するためにも生物生息環境の定量化は必須となる。

 アメリカはこの計測法開発の先覚者である。ミティゲーションを定量的に行うために、指標種を選んでその生息適地の空間と時間、質で評価するHEP(Habitat Evaluation Procedure)をはじめとする生物生息環境評価法の開発が始まったのは半世紀前のことだ。計測法開発があったからこそ、総体としての自然環境への影響をゼロとする(ノーネットロス)政策につながり、価値ある自然環境をあらかじめ再生・修復・管理してクレジットを認定するミティゲーション・バンキングも可能となった。環境省の資料によると、生物多様性クレジット制度は現在13カ国で義務または自主的に運用、または計画中である。

 特筆すべきは英国だ。ネイチャーポジティブを進めるために生物生息環境の戦略的意義や再生困難度等、様々なリスクも組み込んで評価するHEPの改良版ともいうべき「生物多様性評価法」を開発して、土地開発にあたっては10%の生物多様性純増(BNG)を2024年に義務付けた。クレジット認定という制度に対しては、グリーンウォッシュ(見せかけの環境保全)につながる課題が指摘されることも少なくない。だから実効性の担保には、まず信頼できる測定方法の確立が鍵となる。

 NPIによると世界各地ではこれまでに約600もの自然の状態の評価法が開発されてきたという。でも国際目標であるネイチャーポジティブ評価のためには国際標準が必要というわけでSoNの開発が始まったわけだ。熊本サミット参加者の約3分の2を企業や金融機関の民間関係者が占めた理由のひとつは、SoNの最終案がTNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)勧告に基づく企業の情報開示に直結し、今後の新たな活動の機会とも結びつくことが想定されたからだろう。

 さて、NPI主宰のマルコ・ランベルティーニ氏は上の図を示して説明した。まず、測定エリアについては、企業や組織が直接、運営や管理をしている区域「サイト」と、活動の影響が及ぶ周辺を含む「ランドスケープ/シースケープ」の二つの空間レベルで四つの分野、(1)生態系の範囲、(2)生態系の状態、(3)種の絶滅リスク、(4)種の個体数、の測定を求める。

 生態系のタイプについては、国際自然保護連合(IUCN)が既に整理しているタイポロジーであるGET(世界生態系分類)ごとに切り分け、2020年をベースラインとして、上記4つの視点でポジティブかどうか評価することになる。一方、種については、脅威にさらされている種、生態学的に重要な種、地域的・文化的・精神的に重要な種、企業の事業に直接関わる種を測定の対象とすることになる。

 ここでまず問題になるのが、日本では里地里山のような人為攪乱(かくらん)や複数生態系のモザイク構造が生物多様性に貢献しているケースが多く、いわゆる生物多様性の第2の危機、アンダーユースによる劣化が深刻なことだ。例えば谷津(谷津田)は、GETが想定する森林、農地、内陸水系などに分解してしまうと、適切な評価はできない。それらを行き来する小型サンショウウオやカエル類、それらに依存する渡り鳥のサシバなどを評価するには、個々の生態系だけでなく、それらを組み合わせたモザイク構造を評価単位として捉える必要がある。

 さらに、生態系の状態を「原生状態」からの乖離で評価する見方では、氷河期以来の生物多様性を育んできた阿蘇の二次的草原で行われる火入れや、谷津の生物多様性を継承する農作業が、森林への植生遷移を妨げるものとして、ネイチャーネガティブと捉えられてしまう恐れがある。

 里山生態系をGETとどのようにシームレスにつなぎ合わせるか。TNFDのメンバーである原口真氏は、多様な里山生態系の分類体系(タイポロジー)の確立が鍵だという。これまでに日本発の「里山」という言葉や仕組みは、国連大学や環境省が提唱した「SATOYAMAイニシアティブ」を通じてSEPLS(社会生態学的生産ランドスケープ・シースケープ)と定義されて国際的にも認知されているはずである。また、環境省や国立環境研究所はこれまでに生き物豊かな里山を評価し、地図化するための「さとやま指数」「DSI」などの実績もあるし、「生物多様性保全上重要な里地里山」を全国で500カ所選定している。これらを整合させるタイポロジーとその健全性の評価方法確立が急務である。

 また、種についても、どの種を指標とするかが評価結果を左右するので、指標種選定の合理性確保も重要だ。環境アセスメントで生態系の指標種として上位性、特殊性、典型性から選定する知見は集積している。加えて環境DNAやAIアシスト同定ツール活用の市民科学を含めて、モニタリングは新たなネイチャーテックの市場となろう。

 まもなく実務的な測定の仕方やガイダンスが公開されるとのこと。日本へどのように適用していくか。SoNは国際標準であるが故に必要な普遍性と、生物多様性ならではの地域の固有性の両立が望まれる。
 (森本幸裕 京都大学名誉教授、(公財)京都市都市緑化協会理事長)

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