時評

IPBESがビジネスに切り込む〜「100のアクション」が迫る「変革的変化」

IPBESのレポートの表紙

 自然を資本と見る見方が新たな科学的根拠を持つに至った、と言えるのだろうか。2026年2月に「生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学-政策プラットフォーム(IPBES)」は、3年の歳月をかけてまとめた「ビジネスと生物多様性に関する評価報告書」を公表した。https://www.ipbes.net/business-impact

 IPBESは「生物多様性条約」を科学的に支える政府間組織だ。ちょうどIPCCが「気候変動枠組条約」に係る温暖化の評価と対策を専門とする政府間組織であるのと同様、IPBESは生態系の保全と持続可能な利用を専門とする。2012年の発足以来、例えば2016年の「花粉媒介者、花粉及び食料生産に関する評価報告書」で昆虫に世界の目を向けさせ、2019年の「地球規模評価報告書」では100万種の絶滅リスクを警告して、ネイチャーポジティブへの世界の流れを推進してきた。それが今回、初めて生物多様性とビジネスの世界に切り込んだのである。

 経済の視点から見ると、前世紀までは自然は「無料の公共財」であって、開発による損失は市場価格に反映されない「外部不経済」だった。この時代の自然保護は保護地で原生的な自然や希少種を守ることが大事なテーマであって、市場で取引されない環境価値を「支払い意思額(WTP)」や、訪問者の旅費で評価する「トラベルコスト法(TCM)」や、地価から推計する「ヘドニック法(HPM)」などが研究的、仮想的に扱われていた。

 今世紀に入ってからは国連の「ミレニアム生態系評価(MA)」や、国際的な研究プロジェクトである「生態系と生物多様性の経済学(TEEB)」などを通じ、自然が提供する食料、浄水、気候調節などの恵みを「生態系サービス」として経済価値に置き換えて可視化し、政治やビジネスの意思決定に反映させることを目的とした試みが始まった。

 これをさらに推し進めて、「人間も経済も、自然(生物圏)という巨大なシステムの一部(内部)である」という事実を直視し、経済モデルを「再構築」して、GDPに代わる「包括的な富」を提唱したのが、英国財務省が公表した「生物多様性の経済学(ダスグプタ・レビュー)」である。

 1992年から2014年の間に人工資本は2倍、人的資本は13%増えた一方で、自然資本は40%も減少し、現在の人間による需要は、地球の供給能力を約70%超過している(地球1.7個分)ことを論拠としている。2030年までに生物多様性の劣化傾向を止めて上昇に転じるネイチャーポジティブが国際目標となった2021年G7サミットの「自然協約」をこのレビューが後押ししたのである。

 このレビューが「理論・警鐘」とすれば、運用資産総額20兆ドル超を代表する40人のタスクフォースメンバーが主導するTNFDイニシアチブが主導した2024年の「自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)」提言は「実践・枠組み」と言える。両者は自然を富を生み出す「資産(自然資本)」と捉えて、ネイチャーポジティブを目指す。

 そして、今回のIPBES報告書はビジネスと自然の関係についての「科学的根拠・提言」である。中でも、自然に悪影響を与える資金の流れと、保全・再生に向けた資金の間に極めて深刻なギャップがあるとの指摘が注目される。2023年推計では、生物多様性に悪影響を与える官民の投資(年約7.3兆ドル)は、保全や回復への投資(約2200億ドル)の約33倍であって、保全への投資は破壊を促す公的資金・インセンティブのわずか3%にすぎないという指摘だ。

 この自然ファイナンスギャップをどう解消していくのか。政策決定者に対して、報告書では、政府や金融機関に対して自然を破壊する活動への公的支援を段階的に廃止し、自然にプラスの影響を与える事業へのインセンティブへの組み替え、自然への影響と依存についての情報開示の義務化、金融システム再構築などの具体的な行動を求めている。

 ここで留意して欲しいのが、例えば日本では農林水産省の「生物多様性戦略」を定め、補助金の「グリーン化」とクロスコンプライアンス(環境負荷低減のチェック・要件化)を導入した、というアウトプット(実施した施策等)があるので合格なのではなく、重要なのはアウトカム(生物多様性の向上)であることだ。

 例えば里地里山における自然資源のアンダーユースによる「第2の危機」が深刻だ。従来の補助金が生物多様性無配慮の「圃場整備」で生物多様性の劣化した営農形態の「現状維持」や「延命」に使われてきたことについての再検討も必要だ。「有害な補助金」の完全な特定と転換、つまり 「農薬を減らしたら加点」ではなく、「生態系を回復させた量」に応じて支払う結果重視型(ペイ・フォー・サクセス)への大胆なシフトをIPBES「100のアクション」が迫っているのである。

 これに応えるには、現在の生物多様性の危機の本質、つまり四つの危機(開発・オーバーユース、アンダーユース、外来種、温暖化)の地域における実態を踏まえつつ、ネイチャーポジティブのベースライン、目標をどこに置くかについての合意形成やモニタリングの充実が欠かせない。従って、政府やビジネス関係者だけでなく、地域コミュニティもビジネスの活動を通したネイチャーポジティブの重要なステークホルダーとなろう。

 (京都大学名誉教授、(公財)京都市都市緑化協会理事長 森本幸裕)

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