時評

気候安全保障 海面上昇で移住を余儀なくされる太平洋の島国

満潮で現れた水たまり=ツバル、朝日新聞社提供

 去る7月の中旬に、オーストラリアの首都キャンベラで気候安全保障に関する国際ワークショップが開かれ、参加する機会がありました。ASPI(オーストラリア戦略政策研究所)、adelphi(ドイツのシンクタンク)、戸田記念国際平和研究所の共催です。

 キャンベラと東京の時差は1時間ですが、灼熱の東京と真冬のキャンベラでは温度差が最大30度以上あります。それでもキャンベラの空はあくまで青く、さんさんと輝く太陽のもとで空気はとてもさわやかでした。

 ワークショップのテーマは、「アジア太平洋地域における気候・平和・安全保障と地政学的協力の推進」でした。ワークショップには、オーストラリア、ニュージーランド、米国、ドイツ、フィジー、タイ、世界銀行、アジア開発銀行、国連などから専門家、行政官、実務家など約40人が参加していました。特にオーストラリアからは外務省の気候外交担当事務次官補をはじめ、多くの行政官や研究者が加わっていました。

国際ワークショップの参加者たち

 オーストラリア政府は、現在世界的な気候変動対策の推進で、より大きな国際的役割を果たそうとしています。オーストラリアの現政権はエネルギー政策においても化石燃料依存から再生可能エネルギーの飛躍的拡大に大きく舵を切っています。そして2026年に開催される予定の、第31回気候変動枠組条約締約国会議(COP31)を、太平洋島嶼国と共同で開催することを目指しています。

 世界で最も気候変動に脆弱な地域である太平洋島嶼国と共同でCOP31をホストすることは、より野心的な気候変動対策を進めるために必要な国際的緊急性を喚起する機会となることが期待されます。

 今回のワークショップが開催された背景には、以上のオーストラリア政府の意向と、アジア太平洋地域が直面する気候危機の深刻化、そしてその安全保障への影響があります。この地域は海面上昇や極端な気象現象による気候変動の複合的かつ連鎖的な影響に直面し、食糧や水に対する不安の高まりなどが、既存の脆弱性を悪化させ、その結果、避難民や社会的緊張と紛争リスクが高まっています。まさに、気候変動、平和、安全保障の課題が密接に絡み合ったユニークな課題に直面しているのです。

 地球温暖化による海面上昇によって、太平洋の小島嶼国、例えばツバルでは、2100年までに国土が消滅することが危惧されています。ツバルは平均標高がわずか2m程度の低地のサンゴ礁国家です。IPCC第6次評価報告書(2021)によると、2100年までに最大1m程度の海面上昇が起きる可能性があり、また高潮の影響もあり、これはツバルなどの国土の水没や居住が不可能になることを意味します。すでに高潮、塩害、地下水汚染、農地の喪失などが深刻な問題となっています。ツバルなどの太平洋小島嶼国が直面している地球温暖化による海面上昇とそれに伴う「気候移民」や「気候難民」の問題は、21世紀の気候安全保障の核心的課題の一つです。

 オーストラリア政府は、ツバル政府と気候変動による移住に関連して、住民受け入れや安全保障の協力を深める条約(「ファレピリ連合条約」)に23年11月に署名するなど、独自の取り組みを進めています。条約に基づきオーストラリア政府は、毎年抽選で選ばれた280人のツバル人を受け入れると約束し、本年6月16日、ツバルからの移住申請の受け付けをはじめました。7月25日には、この特別移住ビザの初回枠の抽選が行われましたが、オーストラリア政府によると、ツバル国民1万人弱の人口のおよそ9割にあたる8750人がこの抽選に応募したとのことです。移住した人はオーストラリア人と同じ条件で教育や医療を受けることができ、就ける職種に制限がなく、一定の条件を満たせばオーストラリアの市民権を申請できます。しかし、もしツバルから毎年280人が移住すれば60年ごろにはツバルには住む人がいなくなる恐れがあります。国土も住民も失ったツバルという国家の存続がどうなるのか、未知の課題です。

オーストラリア・ウルルの夜明け=2023年、松村北斗撮影

同・ブリスベン郊外の海岸。同国政府はツバルからの移住申請を受け付けている=同

 キャンベラのワークショップに参加していたフィジーのウポル・ルマ・ヴァアイ(Upolu Luma Vaai) さん(パシフィカ・コミュニティーズ大学(Pasifika Communities University)副学長。同大学神学・倫理学教授。先住民哲学者、脱植民地教育者、神学者、文化保護者、パシフィカ開発アナリスト)は、気候移民に対して、住居や教育、雇用機会の確保もさることながら、移住した人たちが、オセアニアの伝統的な文化、歴史、伝統、思想、精神性、共同体意識をどう保持できるか、いわば”Cultural and Spiritual Security”(文化的・精神的な安全保障)がより重要であることを強調していたことが印象的でした。

 気候変動は、太平洋島嶼国の存続を脅かす深刻な問題であり、国際社会全体での協力と、迅速かつ効果的な対策が求められています。そしてツバルや太平洋小島嶼国の問題は、単なる環境問題ではなく、国家の存続・主権・人権に関わる「気候安全保障」の緊急課題です。「気候変動が引き起こす移動」はこれから世界中で広がる可能性があり、小島嶼国の声をCOPなどの国際交渉の場でより強く反映させる仕組みの強化が望まれます。

 先進国は、資金援助の増額を合意していますが、途上国からするとまだまだ不十分です。移住を余儀なくされた人々の、移住先での社会への統合の課題や文化保持を重視した受け入れ・定住支援策の充実も必要です。グリーン・クライメート・ファンド等の適応や移住支援資金の拡充が望まれます。日本も、太平洋島嶼国との連携を強化し、独自の知見や技術を生かした気候変動対策や災害対策(防潮堤建設・土地造成・地下水保全等)などの分野で支援の強化が求められています。

 松下和夫(京都大学名誉教授、(公財)地球環境戦略研究機関シニアフェロー)

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