時評

気候危機と気候科学の危機:トランプショックのもたらすもの

 本欄では何度か進行する気候危機について述べてきましたが、米国ではトランプ大統領の登場により、気候科学(そして科学全般)の危機が現実化しています。

会見するトランプ大統領=朝日新聞社提供

 振り返ると、気候変動問題の発端の背景には、米国での長年にわたる科学的知見の蓄積がありました。その象徴的なものが、1958年からハワイ島のマウナロア観測所でキーリング博士により実施された二酸化炭素濃度の継続的な観測です。この連続観測を基に、地球大気中の二酸化炭素(CO₂)の蓄積をグラフ化したものはキーリング曲線と呼ばれ、このグラフが現在の大気中のCO₂の増加とそれがもたらす地球温暖化に世界の注目を集めた最初のきっかけになったと評価されています。

キーリング曲線=出典、国環研ニュース28巻(国立環境研究所)

 また1988年6月23日には、当時ゴダード宇宙研究所所長で世界的に著名な気象学者のジェームス・ハンセン博士が、米国上院の科学・技術・宇宙小委員会で「温暖化はすでに起きている」と証言しました。この証言が地球温暖化を国際的な政治課題に押し上げる一つの重要な契機となったのです。

 同じ年(1988年)の後半には、気候変動に関する最新の科学的知見を取りまとめて評価し、各国政府にアドバイスをすることを目的とした国連組織である気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が設立されました。その後のIPCCの活動においても米国は重要な科学的貢献を続けてきました。

 ところがトランプ大統領の再登場により事態が急変しています。トランプ大統領は、本年1月20日に就任以来、矢継ぎ早にバイデン政権が進めてきた脱炭素政策を否定する大統領令などを発出し、パリ協定からの再離脱や化石燃料増産の推進など、脱炭素化の流れに逆行する政策を導入しています。

 トランプ大統領の気候政策の背景には、エリートや科学に対する不信に立脚したポピュリズムに便乗し、気候科学さらには科学や研究活動全般に関する彼の否定的な姿勢(反科学、反知性主義)があります。

 大統領就任以来すでに環境保護庁(EPA)、米国海洋大気庁(NOAA)、米国航空宇宙局(NASA)などの職員と予算を大幅に削減し、多くの科学的観測が中断されています。本年2月に中国で開催されたIPCC全体会合に米国の正式代表を欠席させ、米国地球変動研究プログラムへの資金提供の停止などを実施しました。4月には第6次国家気候アセスメントの執筆者全員を解任しています。今後政府系のウェブサイトが閉鎖されるなど、米国での気候関連情報の収集・公開が止まることも危惧されています。

 気候変動に関する信頼できる科学的知見の蓄積は、いわば国際的な公共財ともいうべきものです。賢明な気候変動政策の策定には信頼できる科学的な知見が不可欠です。気候科学分野でも国際社会への最大の貢献国であった米国で、このようなことが起きていることが人類社会に与える悪影響は計り知れません。

 このような状況を受け、ノーベル賞受賞者を含む全米科学・工学・医学アカデミーに所属する1900人あまりの科学者が3月31日、トランプ政権の「科学に対する全面攻撃」により米国が危機にさらされているとして、米国市民にSOSを発する公開書簡を発表しました[1]

 この公開書簡では、「科学のミッションである真実の探求には、研究者が自由に新たな問いをたて、研究で得た知見を特定の利益に左右されることなく、正確に報告することが求められる」とし、政権による検閲は、研究の独立性を破壊していると述べています。さらに「科学界には、恐怖のとばりが下りている。研究者は職や研究資金を失うことを恐れ、論文から自分の名をはずしたり、研究を断念したり、助成金申請書を書き直したり、『気候変動』のように科学的に正確な言葉でも政府が反対しそうな文言を論文から削除したりしている」といった恐るべき現状を伝えています。

 米国という大国の最高権力者による強権的な妄動によって、気候科学そして地球社会の未来が脅かされている現状には暗澹(あんたん)たる思いにならざるを得ません。

 松下和夫(京都大学名誉教授、(公財)地球環境戦略研究機関シニアフェロー)

[1] Public Statement on Supporting Science for the Benefit of All Citizens (科学者から米国市民にSOSを発する公開書簡)

https://docs.google.com/document/d/13gmMJOMsoNKC4U-A8rhJrzu_xhgS51PEfNMPG9Q_cmE/edit?tab=t.0#heading=h.b3f2t4qlidd

 

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