時評

「IPBESネクサスアセスメント報告:地球環境の三重の危機を克服するための統合的アプローチ」

ネクサスアセスメント報告の表紙

 

トレードオフとシナジー

 環境に良い再生可能エネルギーの導入を目指したはずの「メガソーラ―」が貴重な自然の破壊につながってしまった。風力発電の風車のバードストライクで渡り鳥に被害を与えてしまった。バイオマスエネルギーの原料としてトウモロコシを大量に使った結果、食料供給に支障がでた。このように、環境に良いことをしようとしたのに、結果として他の環境破壊につながる事例が報告されるようになってきました。

 ある目的を達成するために取った措置が、他の目的にはマイナスに働く事例をトレードオフ(二律背反、相反作用)といいます。逆にある目的のための活動が、他の目的にも効果がある場合をシナジー(相乗効果)、あるいはコベネフィット(相乗便益)といいます。たとえば森林の保全が生物多様性の保全に寄与すると同時に、二酸化炭素吸収源を守り、気候変動対策にもなることは、シナジーの典型例です。

 人類は現在、地球環境の三重の危機(トリプル・クライシス)に直面していると言われます。すなわち気候危機、生物多様性減少の危機、汚染と廃棄物です。このような世界で環境改善の行動を起こす際には、トレードオフを最小化し、シナジー効果を最大化する統合的なアプローチが必要です。

 

ネクサスアセスメント報告

 以上の問題意識からの最新・最良の科学の知見を取りまとめた報告書(IPBESネクサスアセスメント報告)政策決定者向け要約(SMP)が、ナミビア共和国で開催されたIPBES総会第11回会合で承認され、2024 年12月17 日に公表されました。ネクサスとは相互関係を意味します。

 IPBES(イプベス)の正式名称は「生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学政策プラットフォーム」といいます。その任務は、政策決定者や一般の人々に、生物多様性の保全と持続可能な利用のための入手可能で最良の科学的根拠を提供し、科学を通じて政策と決定を支援することで、2012年に設立されたグローバルな科学政策機関です。そのためIPBES は、しばしばIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の生物多様性版 とも称されます。

 IPBESはこれまでに「花粉媒介者、花粉媒介及び食料生産に関するテーマ別評価報告書」などのテーマ別報告書と「生物多様性と生態系サービスに関する地球規模評価報告書」を発表してきました。それらの成果は生物多様性条約締約国会議(CBD/COP)などに反映され、昆明・モントリオール生物多様性枠組などに生かされています(花粉媒介に関する報告については筆者が本欄でも紹介しています。「花粉を運ぶ生物の価値」グリーン・パワー、2016年4月号)。

 

包括的な解決策を目指すネクサス・アプローチ

 ネクサスアセスメント報告は正確には、「気候変動の文脈を考慮した、生物多様性、水、食料、健康の相互関連性に関する評価報告書」のことです。

 IPBES ネクサス評価共同議長のポーラ・ハリソン英国生態学・水文学センター教授は、「生物多様性、水、食料、健康、気候変動のグローバルな危機は、個別に対処すると他方に意図しない結果を生むことが多いため、同時に対処する必要があります。連鎖する危機は互いに影響し合う可能性がありますが、ネクサス・アプローチでは、これらの危機の相互依存性を考慮し、複数のセクターやシステムをまたいで成果を改善する包括的な解決策を提供します」と述べています。

 この報告書は、世界各地域の 57 カ国から選出された 165 人(うち日本人8人)の著名な国際的専門家が、6,500 件の文献を基にした 3 年に及ぶ執筆作業を経て策定されました。

 報告書では、生物多様性、水、食料、健康、気候変動のネクサスの各要素および要素間における行動の機会を浮き彫りにし、相互に関連する対策オプション間のシナジーとトレードオフを明らかにしています。

 生物多様性、水、食料、健康、気候変動に関連するグローバルな環境危機は、ほとんどの場合、個別のプロセス(個別の国際条約や課題ごとに設置された国家機関/当局など)によって別々に対処されてきました。気候変動のような 1 つの危機に対処する行動は、しばしば他の危機(特に生物多様性に関して)への悪影響を深刻化させました。これらの危機の一つ一つに関する膨大な科学的知識はありますが、このような危機の相互関連性に関する重要かつグローバルな統合分析は、これまで行われてきませんでした。

 この報告書では、生物多様性、水、食料、健康、気候変動のネクサス要素間の複雑な相互関連性に対処するさまざまなシナリオにより、これらの危機の将来の相互作用を 2100 年まで予測し、生物多様性、水、食料、健康、気候システムの複数の観点から最良の結果を導くことに焦点を当て、広範で具体的な対策オプションを提供しています。たとえば、森林・土壌・マングローブなどの炭素貯留量の多い生態系を再生すること、里山・里海の取り組み、人獣共通感染症の発生予防などは、効果が実証されている対応策です。

 また、行動を起こさないことや、複数の危機に対して同時に対処しないことによるコストを検討し、持続可能な開発目標、昆明・モントリオール生物多様性枠組、パリ協定の達成を支援します。そしてネクサスの各要素とその相互作用について、管理または関与し影響している個人や組織(政府、市民社会、先住民と地域コミュニティ、民間企業など)の意思決定に役立つ情報を提供します。

今後に向けて 

 「IPBES地球規模評価報告書」(2019)では、 評価した生物種の約25%、約100万種の絶滅が危惧され、数十年後にはこれらの種は絶滅の可能性があるとされ、このような状況を反転させるためには社会変革が必要と述べています。

 今般のIPBES総会第11回会合で、ネクサス報告書とともに承認された「IPBES社会変革評価報告書」では、いみじくも「社会変革は急務であり、必要であり、困難、しかし可能」と強調しています。

 生物多様性の損失と自然衰退の根本的な原因に対処するために、価値観、構造、慣行を転換し、社会変革を進めることが必要です。そして生態系の保全、自然資源の再生と持続可能な利用、汚染の削減、持続可能で健康な食、気候変動緩和・適応などに統合的に取り組むことが、SDGsの多くの目標にも貢献し、ネクサス・アプローチ全体の推進につながるのです。

 (松下和夫 京都大学名誉教授、(公財)地球環境戦略研究機関シニアフェロー)

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