絶滅危惧種の自生地再生へ~キクタニギク継承の新たな展開
うまく根付いて繁殖するだろうか。京都東山から絶滅したキクタニギクの自生地再生を目指す「キクタニギクの咲く菊渓川の再生」プロジェクトで導入された新たな苗の様子が気がかりだ。今回はナショナルバイオリソースプロジェクト(NBRP)の一環として、広島大学などによるキク科広義キク属の研究プロジェクトに伴って作出された交雑可能な2系統の苗が新兵器なのである。
ひとたび地域で絶滅した植物の自生地再生は容易でない。絶滅する前になんとか保護し、系統保存と増殖が成功しても、自生地の再生までにはいくつもハードルがある。まず絶滅した要因への対策はできるのか。遺伝的な多様性は確保できるのか。導入種苗に付随した意図しない汚染はないのか。更に、地域絶滅後の変化している生態系のつながりの中では、どのような課題が出てくるか未知数なので、順応的管理が必須である。10年ほど前にスタートした京都でのキクタニギクの保全活動は自生地再生に向けて新たな段階を迎えている。
この野生ギクは、小型の黄色い花が群生することからアワコガネギクとも呼ばれる。よく伸びて川岸の斜面を覆うように垂れる性質もあることから、栽培ギクの懸崖仕立てのモチーフとなったのでは、とも思う。キクタニギクと縁のある菊渓(菊谷)川の流れる京都東山に高台寺がある。そこには十境があってその一つ「菊潭水」を飲む僧が長寿となったと『雍州府志』(1682~86成立)は伝える。江戸時代中期~後期には頼山陽らの文人も菊渓の辺りを訪れ、本居宣長も最晩年に訪問して和歌に詠んだ。
高台寺圓徳院の現在の閑栖住職である後藤典生氏によれば、小型の黄色い花を群生する野菊を、子供の頃にご覧になったそうだ。だが、人手が入らなくなった東山ではマツ林など明るい森林が失われてシイ林化が進行し、川は三面張りと暗渠(あんきょ)化、市街地化によって、キクタニギクの育つ川岸や河原は失われ、2002年には京都府の絶滅危惧種にリストアップされた。
この野生ギクの保全活動は、まず、京都市西京区で「乙訓の自然を守る会」が株を発見し、(公財)京都市都市緑化協会などが系統を保存してきたのが事の始まりである。キクタニギクだけでなく、京都の文化に関わりの深い自生種や伝統園芸種「和の花」は軒並み危急種となっていて、京都の文化継承にはこれらの保全が必須である。
そこで協会では、環境省レッドリストや京都府のレッドデータブックに記載された、例えばフジバカマ、オケラ、ヒオウギなどの京都産の系統を保存してきた。
ひとつの転機は、2014年からこれらを市内の事業者が連携して保護育成する取り組みが始まったことだ。中小企業を対象に、ISO14001の基本コンセプトと同じ環境マネジメントシステムである「KES(京都・環境マネジメントシステム・スタンダード)」を提供してきたKES環境機構が、KESの登録事業所に呼びかけ、緑化協会が種苗提供と栽培指導などを行う形で展開した。京都市も生物多様性の地域戦略に基づいた「京の生きもの・文化協働再生プロジェクト認定制度」をスタートさせて、KESの事業を認定してサポートした。
その結果、2022年度の「和の花」育成拠点は258団体となっている。この取り組みで、京都の生物多様性の危機の認知は市民の間で進んだ。ただ、自生地の劣化はそのままだった。
一方、失われゆく京都東山の風情に危機感を持った人々、寺院や地元の商店街、有識者などで構成する「京都伝統文化の森推進協議会」が2007年に結成され、森づくりと森の文化的価値の発信の取り組みが始まっていた。東山国有林を舞台として、近畿中国森林管理局と京都市がサポートする、この協議会の新たな活動のひとつとして、キクタニギク自生地の再生を目指す「キクタニギクの咲く菊渓川の再生」のプロジェクトが始まったのは2017年のことだった。
これはかつての自生地を再生する、画期的な取り組みだ。だが、肝心の苗は協会が系統保存していたものを当初使用したが、自家不和合性(※)のため一個体、同じクローンでは種子を作ることができないのが難点だった。ところが、NBRPの広義キク属のモデル植物として、キクタニギクが選ばれたのが新たな転機だった。
広島大学ではキクタニギクを用いた生命の設計図である全ゲノム塩基配列の解明といった研究に加えて、全国各地のキクタニギクが収集されている。協会の協力の元、京都市内にわずかに残るキクタニギクから種子を収集し、そこから苗を育てて開花させ、開花個体どうしで交雑試験を行うことで、交雑した場合に不和合性を回避して種子を作ることができる2系統が選抜された。この2系統が菊渓に育ち、多くの種子をつけることができれば安定的に増殖し、自生地再生につながることが期待されるわけだ。
場所は菊渓川の源頭部だ。その上部は将軍塚青龍殿に続く東山山頂公園、下部は国指定名勝円山公園に挟まれていて、江戸期の菊渓を愛でた文人をしのぶのには絶好の立地だ。今後、生育状況を見ながら順応的管理が欠かせないのはもちろんだ。加えて、園地整備も図り、キクタニギクの自生地再生を通して、野菊を愛でる文化的景観再生プロジェクトに展開できないだろうか。
(京都大学名誉教授、(公財)京都市都市緑化協会理事長 森本幸裕)
(※)自家不和合性 ある個体の花粉が同じ個体の雌しべに受粉しても正常な種子をつけない性質のこと。