時評

阿蘇の草原再生に資する「野焼き保険」 期待されるCSV

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野焼きボランティアの目前に迫る炎=2023年3月5日、熊本県阿蘇市、朝日新聞社提供

 これまで企業の生物多様性を保全する取り組みは、本業とは無関係のボランタリーなCSR(企業の社会的責任)と見られてきた。しかしこれに加えて、様々な主体が「自分ごと」として地域課題を捉えた持続的な取り組みが望まれる。「CSV(Creating Shared Value=共通価値の創造)」だ。今回は自然関連のリスクと機会に対応した「野焼き保険」を紹介したい。

 

 阿蘇くじゅう国立公園の素晴らしい草原景観は、野焼きで維持される。だが、時に隣接森林に延焼したり、死亡事故も発生したりする。そこで本年、新たに「野焼き保険」が創設された。

 筆者は本年6月の第6回自然環境共生技術研究会CoNECT(環境省自然環境局・(一社)自然環境共生技術協会共催)における下田耕一郎さん(環境省九州地方環境事務所)の発表で、これがCSVの好事例であることを知った。

 もともと火山活動の影響で森林が発達しにくい阿蘇で千年にわたって営まれてきた放牧、採草、火入れがつくってきた大草原。この秀逸な景観の生物多様性は、ヒゴタイをはじめとする中国東北部とも共通する「満鮮要素」とされる草原の植物など、大陸と地続きだった氷河期から受け継いでいる。

 だが伝統的な農耕や自然資源利用の衰退などに伴って、この100年間に阿蘇の草原は半減した。

 そのため、多くの植物や草原性のチョウが絶滅危惧種となってしまった。野焼きは森林化を抑制するため、600種類ともいわれる植物が芽吹いて草原が維持されるのだが、担い手の高齢化などにより、牧野組合だけでは野焼きの継続が困難だ。今後10年以上、野焼きが継続可能な草原は現在の約4割と見込まれているのである。

 この草原の危機に対して2005年に、自然再生推進法に基づいた地域住民、民間、有識者、行政によって「阿蘇草原再生協議会」が設立され、「生業による草原維持の支援強化」だけでなく、「公益機能保全のために多様な主体が関わる草原管理」と「普及啓発と科学的根拠に基づく後方支援基盤づくり」にも取り組んできた。

 また、昨年、野焼きの火の延焼による損害賠償請求があったことも踏まえて、熊本県と環境省は野焼き保険の創設を、保険会社10社程度に打診したところ、三井住友海上保険だけ商品化したのだという。

 事故リスクの評価や保険商品としての手続きといった課題をなぜ克服できたのか。

 それは、同社が自然環境や生物多様性の損失を保険ビジネス上の脅威と認識して、社会と企業のサステイナビリティーの同時実現を成長ビジョンに掲げていることが背景にある。保険によって草原の担い手の不安を払拭(ふっしょく)することは、自然資本の確保・維持に向けて、保険会社の使命だと考えたからだという。

 なるほど同社は、企業が生物多様性の保全になぜ、いかに取り組んでいるか、について企業が語り尽くす日本初の試み「企業が語るいきものがたりPart1~企業と生物多様性シンポジウム~」を07年に開催し、その後も毎年継続している。なぜ、損保会社が生物多様性の取り組み事例の交流を推進してきたのか。筆者は何回目かのシンポジウムの主催者あいさつを聞いてその謎が解けた。「日本の約7割の企業が弊社の顧客である。生物多様性の損失は大きなリスクであって、損保会社はその実態や対応に関する情報を顧客に提供しないといけない」ということだった。

 「野焼き保険」の創設という損保会社の本業を通して、牧野組合の社会的・経済的リスク対応に貢献しつつ、草原の自然再生というステークホルダー全体の社会的・経済的価値創造に結びつけるという、CSVの好事例だ。生物多様性の損失を止め、プラスに転じる「ネイチャーポジティブ」の実現に向けて、様々なCSVの展開を期待したい。

 (京都大学名誉教授・公益財団法人 京都市都市緑化協会理事長 森本幸裕)

 

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