時評

四日市コンビナートの夜景クルーズ

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コンビナートの夜景=三重県四日市市

 三重県四日市市は、かつての深刻な公害「四日市ぜんそく」で知られた街だ。現在は環境を改善して新たな街づくりを進め、四日市コンビナートの夜景クルーズが今やユニークな観光の対象となっている。筆者はアジアの将来を担う若者たちと一緒に夜景クルーズに参加する機会があった。以下はその報告である。

四日市公害と環境の未来

 四日市コンビナートは日本で初めて大規模に形成された石油化学コンビナートとして、日本の産業を牽引(けんいん)してきた。とりわけ昭和30年代の日本は戦後復興から高度経済成長期に入り、経済成長優先の社会背景のもと、四日市をはじめ各地で大規模な工場が次々と建設された。ところがコンビナートの工場周辺では、大気汚染によって多くの人々がぜんそくに罹患(りかん)するなど「四日市公害」と呼ばれる深刻な公害が発生した。

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四日市石油化学コンビナートと、川を隔てて向き合う磯津の集落=1967年、朝日新聞社機から

 このような背景から1967年には大気汚染公害をめぐり、コンビナートに立地する企業6社を相手取り、磯津地区に住む公害認定患者9人が裁判を起こし、72年に判決が出た。

 判決は、①原告らの発症と排煙との因果関係②共同不法行為③立地上・操業上の過失を認め、被告6社に連帯して損害賠償を命じる、という画期的な内容であった。判決はさらに、汚染物質の排出について「企業は経済性を度外視して、世界最高の技術、知識を動員して防止措置を講ずべきだ」と述べ、当時の産業界への大きな投げかけとなった。この判決はその後に成立した国の「公害健康被害補償法」や「環境アセスメント」制度にも大きな影響を与えることとなった。

 その後、四日市では市民、企業、行政が一体となって環境改善に取り組み、現在ではぜんそくの主な原因とされる二酸化硫黄濃度が、国の基準を市内全域でクリアするなど、大幅に環境が改善されている。そして2015年には四日市公害の歴史と教訓を次世代に伝えるとともに、環境改善の取り組みや産業発展と環境保全を統合したまちづくり、さらには、その経験から得た知識や環境技術を広く国内外に発信することを目的に「四日市公害と環境未来館」(そらんぽ四日市内)が開館している。 https://www.city.yokkaichi.mie.jp/yokkaichikougai-kankyoumiraikan/

 

 現在、市は市長のリーダーシップのもと、気候変動対策にも積極的な取り組みを始めている。

 

 

アジアの若者の四日市での研修と夜景クルーズ

 東南アジア8カ国及びインドからの研修生17人を招いたIATSSフォーラムの一部が今年の6月に四日市市で開かれた。 https://www.iatssforum.jp/

 このフォーラムは、本田技研工業の創業者である本田宗一郎と藤沢武夫両氏の個人基金により1985年に設立され、各国の「持続可能な発展」に寄与すべく、自ら考え行動できるリーダーを育成することを目的として、アジア10カ国から若者を招いて、数週間にわたる研修を日本で実施してきた。過去3年間はコロナ禍のため中断されていたが、久しぶりに第63回フォーラムとして再開された。

 四日市市では環境と開発を中心テーマとし、講義とワークショップ、そして四日市公害と環境未来館の見学、さらにはコンビナートの夜景クルーズも含む多彩な内容で実施され、私も講師として参加した。

 

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アジアの研修生たちと

 

 環境未来館では、公害を経験した四日市の時代背景と状況、現在の取り組みについて知り、四日市公害の基本的な知識を得た。アジアの研修生たちがメモを取りながら当時の被害者のインタビューなどを熱心に聴いていたのが印象的だった。

 案内してくれた館長の川北高実さんは、元市環境部長で、30年ほど前に当時私が勤務していた環境庁地球環境部(現在の環境省地球環境局)に出向していた経験がある。したがって私とはかつての同僚で実に30年ぶりの再会であった。

 ナイトクルーズを案内してくれたのは「コンビナート語り部の会」の共同代表・古川勝敏さん。四日市のコンビナートで長年技術者として勤め、現在はボランティアで四日市公害の経験を語り継いでいる。2010年から本格的な運航が始まり、四日市港を出港後、1周約60分または90分で工場夜景が展開する各エリアを巡る。製油所や大型タンク、煌々と輝く発電所など、ダイナミックでユニークな夜景だ。

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コンビナートの夜景

 巨大なプラントなどを無数に照らす明かりは、コンビナートの管理のためにつけられているものだが、それが観覧船からは不夜城のように見える。現在も昼夜となく稼働している塩浜・石原地区、午起地区、霞ケ浦地区を含む広大なコンビナートの夜景を、古川さんの過去の歴史をふまえた詳しい解説を聞きながら見ることができたことは、私にとっても貴重な体験であった。

 過去の「負の遺産」を現在に生かし、その記録と教訓を未来に引きつぐ。そのような取り組みが四日市では連綿と続けられている。急速に発展するアジアから来た聡明な若者たちも、市の歴史から確実に多くを学んでくれたであろう。

 

 松下和夫 (京都大学名誉教授、地球環境戦略研究機関シニアフェロー)

 

 

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