時評

土呂久公害とアジア砒素ネットワークの活動 「神話の里」からアジアへ

img_takachihokyo-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc写真① 高千穂峡=宮崎県高千穂町提供

 

 九州山地のほぼ中央に位置する宮崎県高千穂町は「神話の里」として知られている。

 神代の時代以来の、数度に及ぶ阿蘇火山の噴火とその後の長年の浸食作用によって形づくられた自然の造形美を誇る高千穂峡(写真①)や天安河原(写真②)、そして天照大御神の神話と関わりが深い天岩戸神社(写真③)などが点在している。

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写真② 天安河原=以降の写真はいずれも筆者撮影

 

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写真③ 天岩戸神社

 

 天岩戸神社を北へ進むと祖母山系の山あいの集落、土呂久地区にたどり着く。急峻(きゅうしゅん)な傾斜地を丁寧に石垣で区切った棚田の風景が広がる。高千穂町岩戸の土呂久地区は、公害健康被害補償法により国が指定した四つの公害疾病の一つである慢性ヒ素中毒症が多発した地域であった(四つの公害疾病とは、大気汚染による慢性気管支炎等の非特異疾患、イタイイタイ病、水俣病、慢性ヒ素中毒)。

 この地区には江戸時代に銀山として栄えた土呂久鉱山があり、1920年ごろにはヒ素の生産が始まっている。そして50年には中島鉱山が亜ヒ酸の生産を始めた。亜ヒ酸は猛毒物質であり、殺虫剤、医薬品、シロアリ駆除剤、顔料、漁網・毛皮の防腐剤などの原料として使われた(第1次世界大戦ではドイツ軍が毒ガスの原料として使った)。

 一般的には人里から離れた山中で操業する鉱山が、土呂久では集落の真ん中に開発され、亜ヒ焼き窯も集落の中にあった。人々が暮らしている場所で、猛毒物質の亜ヒ酸を大量に生産したため、甚大な被害が発生したのである。亜ヒ焼き窯のすぐ近くに住んでいた佐藤喜右衛門さん一家が30年から翌年にかけて次々と亡くなったことや、農作物や家畜にも深刻な被害が出たと語り継がれている。

 中島鉱山(株)経営の土呂久鉱山は62年に閉山し、67年には会社を清算し、鉱業権は住友金属鉱山(株)に譲渡されたが、73年には放棄され鉱害防止事業の義務者不在の休廃止鉱山となった(写真④)

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写真④ 土呂久鉱山跡地の見学案内板

 

 一方で、土呂久公害問題は長く放置され、それが社会的に注目されたのは、71年になってからである。

 岩戸小学校教員の丹念な疫学調査(写真⑤)がきっかけとなり、過去の公害が掘り起こされ、宮崎県による対策につながった。土呂久地区の慢性ヒ素中毒症は公害健康被害補償法の対象となり、72年に患者7人が認定された。それ以来認定患者は増え続け、2022年3月23日現在215人、このうち生存者は42人となっている。

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写真⑤ 岩戸小学校教員が作成した「土呂久鉱山周辺被害(死亡)地図」

 

また、41人の患者さんたちは「命あるうちの救済」と「命ある限りの救済」を求めて鉱山に1975年に訴訟を提起し、15年後の90年に最高裁による和解が成立した。和解の結果、患者さんたちは見舞金を受け取り、そのお金が公害健康被害補償法の補償給付を妨げないという内容で合意している。
 
 宮崎県と高千穂町は環境復元と集落の再生に努めている。その一つが土呂久鉱山の中心的な坑道であった「大切坑」の坑内整備工事と水質の改善事業である。2019年度にはその坑口から右奥の坑道(約535メートル)の坑内整備工事が完了している。

 一般には公開されていないこの坑道の内部を町役場の方の案内で見学させていただいた(写真。現在では、岩戸川水域のヒ素濃度は下がり、農業用水の環境基準をほぼ達成するレベルとなっている。

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写真⑥ 「大切坑」坑道内部

 

 一方、世界に目を向けると、ヒ素を含む地下水を井戸でくんで飲むことによる被害がアジア各地でも広がっている。土呂久公害の支援者たちは、その経験を生かして1994年に「アジア砒素ネットワーク」を結成し、アジア各地のヒ素汚染対策に協力している。

 バングラデシュではヒ素対策の拠点となるセンターを建設し、安全な水源の設置と飲み水の供給、ヒ素中毒患者の確認と治療に協力している。また、最近では環境再生保全機構の下の地球環境基金の助成によって、地下水からヒ素を除去する装置(Multi-GSF)をヒ素汚染対策が困難な地域に18基建設した。

 これにより、代替水源のない高濃度砒素汚染地域で2400人が安全で美味しい飲料水を得ることができるようになった。装置の建設は各県内の地元のNGOとの協働で行われ、彼らに装置の維持管理に関する技術も移転している。今後はバングラデシュの行政機関やローカルNGO、そして地元の利用者組合との密接な関係を構築して協力を続ける方針である。

 土呂久地区には現在33世帯64人が住み、そのうち小中学生は3人で、高齢化と人口減少が著しい。環境の復元と集落の再生を進め、そして土呂久公害の経験と教訓を次世代にどう引き継いでいくか。困難な課題は多いが、様々な取り組みが真摯(しんし)になされることを期待したい。

 

御礼】

 本稿は2023年1月18、19日に環境再生保全機構の下の地球環境基金の調査で、特定非営利活動法人アジア砒素ネットワークと、宮崎県高千穂町土呂久地区を訪問した際のヒアリングと、その際に団体、県、町から提供いただいた資料に基づいています。アジア砒素ネットワーク、宮崎県環境管理課、高千穂町の皆様に御礼申し上げます。

(京都大学名誉教授・日本GNH学会会長・公益財団法人 地球環境戦略研究機関〈IGES〉シニアフェロー 松下和夫)

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