時評

ネイチャー・ポジティブへ 急がれる日本のルールづくり

 

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2030年にネイチャー・ポジティブを目指す世界目標<https://www.naturepositive.org/>より

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 生物多様性の主流化とは、社会と経済に生物多様性が内部化されること。その未来世界への歩みは、英国が先導しているように見える。「遅くとも2030年までに生物多様性の損失を逆転させ回復させる」という、国連生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)第1部の閣僚級会合の「昆明宣言」に盛り込まれた「ネイチャー・ポジティブ」に向けて、自然への投資やネイチャーポジティブ経済を促進するルールづくりが課題となっている。

 この動きには、英ケンブリッジ大学のパーサ・ダスグプタ名誉教授が取りまとめた「ダスグプタ・レビュー」が一役買った。英国財務省が2021年2月に公表したこの報告書は、英国での主要7カ国⾸脳会議(G7サミット)でネイチャー・ポジティブを目指す画期的な「2030年⾃然協約」の合意を後押しした。報告書は人工資本、人的資本と同様に、“資本財”として自然をとらえて「包括的富」の概念を提唱。過去20年間に40%減少した自然資本の回復が必要で、これからはGDPではなく、包括的富の増加が人類の幸福度に貢献するとしている。

 では、ネイチャー・ポジティブとか、生物多様性とかの計測と評価はどのようにするのか。地球規模の生態系再生産能力の観点からは、エコロジカル・フットプリント(人間活動の環境負荷)とバイオキャパシティ(生態系の再生産能力)を評価する方法がダスグプタ・レビューでも採り上げられているが、地域で異なる生物多様性についての包括的な国際ルールはまだない。

 とはいえ、土地開発の面から見ると、米国では古くから環境影響評価の手続きとして、ハビタット(生物生息環境)評価の手法が多数開発されている。自然環境保全措置の「回避」「最小化」「修正」「代償」のヒエラルキーと、指標種を用いたハビタット評価手続きがなされ、湿地生態系や絶滅危惧種保全に貢献してきた。だが、生物多様性の定量評価は不可能という、いわば環境原理主義と、環境負荷を外部化したい事業者の力が強いのか、日本での生物多様性への影響の定量評価は定着せず、いまだに定性評価にとどまっている。

 一方、イングランド(英国)ではすでにネイチャー・ポジティブに向けた環境法が21年に成立した。この法律は、土地開発で発生する“負荷”を低減するだけでない。自然再生したり、保全プロジェクトのクレジットを購入したりすることで、損なわれるハビタットの価値の損失を“実質ゼロ”にする「ノーネットロス」を超え、10%の「ネットゲイン」を図るBNG(Biodiversity Net Gain)を義務付けた。

 BNGは「ハビタットの規模」「状態」「独自性」「場所」の四つの要因をもとに、開発の前後で生息地の範囲や特性を比較して評価する。この生物多様性指標は、専門家による活用や改良を重ねることで信頼性を高め、試行期間を経て23年に義務化されるという。

 また、TNFD(企業活動の⾃然資本に関わるリスク情報開⽰の枠組みタスクフォース=2022年3月配信「時評」参照)やOECM(民間などの努力で生物多様性が保全されている保護地=22年11月配信参照)といった、国際社会の新たな生物多様性関連のルールづくりも進行中だ。

 土地開発にとどまらず、ネイチャー・ポジティブ経済は新たなビジネスと雇用も生み出す。カーボン・ニュートラルなら、地球上どこでも温暖化ガスの量を評価すればいいが、生物多様性は地域で実情が異なる。だから生物多様性の経済への内部化のためにはその国や地域の課題を踏まえた、自然資本の会計処理が欠かせない。
30年までにネイチャー・ポジティブを達成するため、日本では大胆なインセンティブを組み込んだルール構築の努力が官民に必要だ。残された時間を考えれば、「拙速は巧遅に勝る」と思う。

 (京都⼤学名誉教授・公益財団法⼈ 京都市都市緑化協会理事⻑ 森本幸裕)

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