時評

『世界遺産 奄美』が語る ポストコロナ禍の自然保護論

国の特別天然記念物のアマミノクロウサギ(朝日新聞社)

 

 自然保護と暮らしの両立は容易でない。だが、その模索の中にこそ持続可能な未来が展望できる。『世界遺産 奄美』(小野寺浩著 2022年刊、南方新社)には、この考えに貫かれた自然保護の指針が満載である。

 21年に「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」を日本で五つ目の世界自然遺産登録にこぎつけたのを機にまとめられた本書は、環境省自然環境局長も務めた小野寺氏の半世紀にわたる体験を基にした自然保護論だ。最初の世界自然遺産「屋久島」登録に尽力したときも、成功の鍵は“自然保護原理主義”ではなく、“環境文化”にあった。

 彼が屋久島に関わり始めたのはちょうどバブル経済頂点の頃。鹿児島県が県内各地の振興政策をつくる中、地形急峻(きゅうしゅん)で森林が9割の開発が遅れた屋久島については「屋久島環境文化村構想」が掲げられた。開発不適地ゆえ、残った亜熱帯の海岸から亜寒帯の山地まで連続した「生態系」と縄文杉の「自然美」で、辺境が大化けする政策に関わった。自然保護派や地域のみならず国民的にも機運が盛り上がり、新たに世界遺産条約に加盟し、1993年に世界の屋久島となった。

 なぜ、自然保護がすんなりと受け入れられたのか。国際日本文化研究センター所長などを歴任した梅原猛氏をはじめ、“日本の知性”を代表する委員らによる「屋久島環境文化懇談会」(座長:下河辺淳・元国土次官=当時)が果たした役割は大きい。その委員の上山春平氏の京都と屋久島に関する次の発言にヒントがあるように思う。

 「私たちの千年のふるさとは京都だと思っていますが、数千年のふるさとは屋久島じゃないでしょうか」

 これで照葉樹林文化を根底に受け継ぐ日本中が盛り上がった。懇談会がまとめた「屋久島環境文化村構想」には「地元住民の自発的な意欲」が必須で、「大切なものの保存を強調する側と住民の生活の必要との矛盾があるのは京都でも屋久島でも同じであって、自然の保存と住民の生活との矛盾の解決に対して、保存を強調する側が、強力な支援を行う用意が必要(要約:森本)」という指摘があったことが大きいと思う。

 さて、この第1回懇談会からわずか2年で登録に成功した屋久島と違って、今回の五つ目は“難産”だった。国内の候補となったのは2003年。アマミノクロウサギという1属1種の固有種をはじめ、島々の成り立ちを反映した独特で豊かな生物多様性が特筆できるにもかかわらず、知床や小笠原と違って時間がかかったのはなぜか。それは奄美大島の候補地の大部分が企業有林で、沖縄本島やんばる地域に米軍基地があったために、国立公園編入が遅れたこと。また森の大部分が2次林だったこともある、と彼は言う。

 しかしそれ以来、マングース退治や、森林の担保と適正管理を踏まえた地域振興ほか、これからの自然保護のあり方を示唆する様々な努力の積み重ねがあった。2度目の挑戦で、屋久島とは異なる「生物多様性」の視点からの登録に至ったのはその努力の成果だ。

 この琉球弧の島々から視野を広げると、コンサベーション・インターナショナルから世界の生物多様性ホットスポットに選定されている日本列島全体の自然保護が重なって見えてくる。

 そう言えば、日本における生物多様性の第2の危機として里山の荒廃を特定し、「地域の生物多様性とそれに根ざした文化の多様性は歴史的資産」であって、「それらを上手く紡ぐことが地域個性化の鍵」と指摘した、画期的な「新・生物多様性国家戦略(2002)」の担当課長は彼だった。これがポストコロナ禍社会の自然保護だと思う。

 (京都大学名誉教授・公益財団法人 京都市都市緑化協会理事長 森本幸裕)

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