時評

ウクライナからの留学生

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戦死したウクライナ将校の葬儀で、棺に手をあてる女性=2022年3月、ウクライナ西部リビウ(朝日新聞社)

 

 今からちょうど11年前、東日本大震災の直後の4月に、ウクライナから一人の国費留学生が京都大学の私の研究室に加わった。マリアさんという大きな目が印象的な小柄な女子学生だった。彼女は日本の環境対策、とりわけ建築・住宅部門における省エネ・低炭素化対策に関心を抱いていた。

 当時の日本は福島第一原発事故の激甚な被害からの復興のめども立たず、国全体が消沈していた。チェルノブイリ原発事故後のウクライナに生まれ育ったことから、ご両親は彼女を原発事故被災地となった日本に送り出すことに深い危惧を抱いていた。はるか遠いウクライナから見ると日本全土が震災と原発事故の影響を受けているように思われたのであろう。

 けれども日本語も堪能で日本での勉学に強い意欲を持っていた彼女は、最終的には自分の決断で京都にやってきた。京都大学大学院の地球環境学舎で地球環境政策論や持続可能な発展に関する研究を続け、チェルノブイリ原発事故と福島第一原発事故を比較対照したリポートを発表するなど、優れた成果をあげていった。

 また、大学院のカリキュラムの一環として、日本のトップの建設会社で長期間にわたってインターンに従事し、建設会社の現場での環境対策や低炭素化対策、そして環境経営への造詣(ぞうけい)を深め、その成果を立派な修士論文にまとめた。インターン先の企業で彼女の働きぶりは高く評価され、彼女を正規の職員として採用したい旨の強い希望が寄せられた。

 ところが当時、クリミア半島を巡るロシアとの紛争が勃発し、ウクライナ国内の情勢は緊迫の度を深めていた。彼女は日本での仕事を選ぶか、母国ウクライナに戻るかどうか、かなり迷ったものの、帰国する道を選んだのだった。

 それから9年。ロシアによるウクライナへの侵略の報を聞いて、最初に思い浮かんだのがマリアさんの安否だった。だが長年連絡をとっていないので、連絡先も不明だ。大学の研究室での古い名簿を調べてみると、彼女のアドレスがある。けれども9年前のアドレスがまだ有効とは思えない。それでもダメもとでメールを送ってみた。なんと数時間後に返事が届いた。少なくとも彼女は無事だった。以下、彼女からの返信の一部(原文のまま)を紹介する。

 「先生、ご心配ありがとうございます。戦争が始まったとき、私はウクライナの南部、オデッサに住んでいて、数日後に、国境まで一時間かかる近くの国モルドバに避難していて、今そこにいます。ウクライナは本当に恐ろしい状況にあります。誰も信じられないことが起こり、皆本当にショックを受けています。いつかミサイルで朝五時に起きる時期が来るなんて、一生思わなかったです。しかも、起きて、大変なことを報告したら、ほぼすべての都会が一緒の状況だとわかり、さらにショックです。ウクライナは今自分の国だけではなく、ヨーロッパ、世界の平和、色々戦っています」

 戦争は最大の環境破壊であり人権破壊である。そしてロシアによる原発への攻撃がいみじくも示したのは、原発が国家安全保障上の極めて重大なリスクであることだ。さらに、化石燃料への依存から早期に脱却することが国の安全と持続可能性を高めることも、改めて銘記されねばならない。

 すでにこの戦争で多数の犠牲者が出てしまっているが、彼女をはじめとした多くの被災者に一日も早く平和な日常が戻ることを祈りたい。

 (京都大学名誉教授・公益財団法人 地球環境戦略研究機関(IGES)シニアフェロー 松下和夫)

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